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伊号第二十七潜水艦(いごうだいにじゅうななせんすいかん、旧字体:伊號第二十七潜水艦)は大日本帝国海軍の潜水艦で、伊十五型潜水艦(巡潜乙型)の8番艦である。帝国海軍潜水艦の中で最も多くの撃沈トン数(97,831トン)を記録した艦であった。 当初は伊号第二十九潜水艦と命名されていたが、1941年(昭和16年)11月1日に伊号第二十七潜水艦と改名されている〔昭和16年11月1日付 海軍達 第333号。〕。 == 艦歴 == 建造は佐世保海軍工廠で竣工は1942年(昭和17年)2月24日に行われた。 就役後すぐの5月31日に特殊潜航艇によるシドニー港攻撃に参加。特殊潜航艇の母艦として1隻を輸送した。特殊潜航艇の捜索を打ち切った後は、メルボルン方面にて通商破壊を行い、2隻(計7,592トン)を撃沈。その後はインド洋、アラビア海で通商破壊任務につき、全部で15隻(計82,726トン)の商船を撃沈した。この記録は帝国海軍で随一のものである。(隻数では伊号第十潜水艦のほうが多い。) 1944年(昭和19年)2月12日、モルディブ諸島南西沖においてイギリス船団を攻撃し、うち1隻を撃沈(イギリス船ケダイブ・イスメール、7,513トン)するも、護衛のイギリス海軍P級駆逐艦「」および同「」の2隻による反撃を受ける。反撃開始から80分後に損傷のため浮上し、直後パラディンに体当たりを行い同艦を損傷させるも、対潜魚雷を受け撃沈される。艦長福村利明少将(死後、二階級特進)以下104名戦死。生存者はいなかった。同年7月10日、除籍。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊号第二十七潜水艦」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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