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伊地知幸介 : ウィキペディア日本語版
伊地知幸介[いぢち こうすけ]

伊地知 幸介(いぢち こうすけ、安政元年1月6日1854年2月3日) - 大正6年(1917年1月23日)は、日本陸軍軍人日露戦争旅順攻囲戦では乃木希典のもとで、第3軍参謀長を務めた。爵位は男爵、陸軍での最終階級は陸軍中将
== 経歴 ==
薩摩藩士・伊地知直右衛門の長男として生まれる。薩摩閥の1人であり、最初の妻は大山巌元帥の姪。御親兵(後の近衛兵)に抜擢されて上京陸軍幼年学校を経て、明治8年(1875年)12月に陸軍士官学校入学。明治10年(1877年)4月から翌月まで西南戦争に出征した。明治12年(1879年)2月、砲兵少尉に任官し、同年12月、陸軍士官学校を卒業。
明治13年(1880年)にフランス、4年後にドイツ帝国に留学。この間にドイツ参謀総長大モルトケから彼の信頼する参謀将校デュフェ大尉を紹介され戦略戦術の指導を受けているが、これに乃木希典も講義を受ける事になり伊地知が通訳などの世話をしている。
明治22年(1889年)11月、砲兵少佐に進級し、野戦砲兵第1連隊大隊長に就任。日清戦争時には第2軍参謀副長として出征した。その後、大本営参謀参謀本部第1部長、英国駐在武官を務める。
明治33年(1900年)4月、陸軍少将に昇進。同年10月、参謀本部第1部長となり、野戦砲兵監京城公使館付などを歴任。明治37年(1904年)5月、第3軍参謀長に就任し、日露戦争における旅順攻略を実施。明治38年(1905年)1月、旅順要塞司令官に任命され、東京湾要塞司令官に転じ、明治39年(1906年)7月、同期首席で陸軍中将に進んだ。
明治40年(1907年)9月、日露戦争の功により男爵となる。明治41年(1908年)12月、第11師団長に親補され2年弱在任。明治43年(1910年)11月に待命、翌年11月、病気により休職。大正2年(1913年)1月、予備役編入となった。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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