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伊地知正治 : ウィキペディア日本語版
伊地知正治[いじち まさはる]

伊地知 正治(いじち まさはる / しょうじ、文政11年6月10日1828年7月21日) - 明治19年(1886年5月23日)は、日本武士薩摩藩士)、政治家伯爵は季靖。通称は竜右衛門、後に正治、は一柳。
== 来歴 ==
薩摩藩士伊地知季平の次男として鹿児島城下千石馬場町に生まれる(幼名は竜駒)。3歳の時に文字を読んで「千石の神童」と呼ばれるが、幼い頃に大病を患ったために片目と片足が不自由となる。
剣術を薬丸自顕流薬丸兼義に、合伝流兵学を初め伊敷村の石沢六郎、後に荒田村の法亢宇左衛門に学んで奥義を極めた。合伝流の弟子に西郷従道高崎五六淵辺群平三島通庸がいる。池上四郎有馬藤太も薫陶を受けている。のち藩校造士館の教授となる。
安政6年(1859年)には精忠組に参加。文久2年(1862年)、島津久光の上洛に従って京都に上った功績により軍奉行となる。伊地知は類稀な軍略家であり、禁門の変戊辰戦争で大きな功績を挙げた。白河口の戦いではわずか700の兵で白河城に拠る旧幕府軍2,500に圧勝し、また土佐藩板垣退助と共に母成峠の戦いで旧幕府軍を大破して会津若松城開城に大きく貢献した。伊地知の兵法の特徴は、徹底した少数精鋭主義(薩摩藩兵では城下士の部隊、長州藩兵では奇兵隊系の部隊を選抜して率いた)、合伝流の伝統である火力絶対主義、そして時に拙速ともいえる速戦主義にあった。
戦後は薩摩藩の藩政改革に臨んだが、中央の太政官政府と海軍予算拠出を巡って対立し勝手に帰郷するなど騒動を起こしてもいる。廃藩置県後は薩閥の有力者として太政官政府に入った。
征韓論争では征韓側につく。板垣とともに派兵計画を立てるが、明治六年政変では下野しなかった。対立していた左院議長の後藤象二郎が下野したことで、同副議長の伊地知が代わって議長に就任したためである。のちに参議を兼任し、修史館総裁、一等侍講、宮中顧問官などを歴任。西南戦争では早々に薩軍の敗北を予見したが、戦後は帰郷して郷里の復興に尽力し、明治19年(1886年)に58歳で死去。明治20年(1887年)、国家ニ勲功アル者として生前に遡って「伯爵」を授爵された。激烈な性格で頭脳は優れていたというが奇人としての逸話も多い。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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