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伊奈努[いな つとむ]
伊奈 努(いな つとむ、1934年10月1日 - 1984年9月1日〔プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、57ページ〕)は、愛知県宝飯郡御津町(現:豊川市)〔出身のプロ野球選手。1953年から1956年の登録名は伊奈 勉(読み同じ)。 == 来歴・人物 == 豊川高校から、1953年に名古屋ドラゴンズに入団〔。高校の同級生には東映フライヤーズで活躍、その後セントラル・リーグ審判員を務めた久保田治がいる。1957年に登録名を「伊奈 勉」から「伊奈 努」に変更し頭角を現す。同年は12勝を挙げオールスターにも出場した〔。1959年には、16勝14敗、防御率2.53を挙げる活躍を見せる。1960年オフに、伊奈努・横地由松 - 西尾慈高・星山晋徳の2対2のトレードで阪神タイガースに移籍〔。中継ぎとして活躍した。1963年オフに引退〔。 引退後は豊橋市内でうどん屋を経営し、共に中日の後輩である権藤博や星野仙一(但し、両名とも伊奈とは中日で一緒にプレーしていない)も伊奈の店を度々訪れていた〔。しかし、1984年に49歳の若さで死去。権藤、星野とも伊奈の早すぎる訃報を聞き「もう伊奈さんの魂が込もったうどんが食べられなくなると思うと寂しい」と故人を偲んだ。 伊奈の亡くなった10日後には、中日時代の1年先輩であり、共に1954年の日本一戦士でもあった元捕手の河合保彦が50歳の若さで死去し、また同年12月2日には同じく共に日本一戦士となった先輩の牧野茂も56歳の若さで亡くなっている。このため、1984年は30年前の中日初の日本一を知る世代にとって悲報が続く年となってしまった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊奈努」の詳細全文を読む
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