翻訳と辞書
Words near each other
・ 伊奈学園総合高校
・ 伊奈学園総合高等学校
・ 伊奈宗英
・ 伊奈川ダム
・ 伊奈川愛菓
・ 伊奈川発電所
・ 伊奈川第二発電所
・ 伊奈平
・ 伊奈忠克
・ 伊奈忠勝
伊奈忠善
・ 伊奈忠宥
・ 伊奈忠尊
・ 伊奈忠常
・ 伊奈忠政
・ 伊奈忠敬
・ 伊奈忠次
・ 伊奈忠武
・ 伊奈忠治
・ 伊奈忠盈


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

伊奈忠善 : ウィキペディア日本語版
伊奈忠善[いな ただよし]
伊奈 忠善(いな ただよし、安永2年(1773年) - 文化4年(1807年)は伊奈忠敬の三男。半蔵、半左衛門。姉に美喜(伊奈忠尊室)。義兄に伊奈忠尊板倉勝澄の子)。
明和6年(1769年)12月7日、父が没すると義兄忠尊が家督を継ぎ関東郡代となる。忠尊は忠善を養子としたが、側室に岩之丞という実子ができ、そのことで忠善は、寛政3年(1791年)10月24日、検見として滞在していた赤山城を家臣の小島外府を供とし、突如として比叡山に出奔し匿われたが、柳沢保光に連れ戻れてしまう。忠尊は家督争いを収めることができず、このことを幕府に隠していたが露見し、寛政4年(1792年)3月9日、忠尊は勤務中の不行跡、家中不取締りの罪で改易され、所領没収永蟄居、赤山城は破却された。忠善は、大和郡山藩主・柳沢保光に預けられ、郡山城に蟄居となった。
忠善は享和3年(1803年)に許され、柳沢保光の江戸屋敷に移されたが、35歳で没する。幕府は伊奈氏歴代の功績を考え、伊奈忠治の三男伊奈忠重の子孫、伊奈忠利の子伊奈忠盈(ただみつ)に新地武蔵国秩父郡および常陸国信太郡内1000石で名跡を継がせ、小普請に列し、旗本として明治維新に至る。
なお、忠善には実子がおり、子孫は現在まで続いている。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊奈忠善」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.