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伊奈忠次 : ウィキペディア日本語版
伊奈忠次[いな ただつぐ]

伊奈 忠次(いな ただつぐ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将大名武蔵国小室藩初代藩主。
== 生涯 ==
三河国幡豆郡小島城(現在の愛知県西尾市小島町)主・伊奈忠家の嫡男(忠家の父・忠基の末子との説もあり)に生まれる。永禄6年(1563年)に父・忠家が三河一向一揆に加わるなどして徳川家康の下を出奔。天正3年(1575年)の長篠の戦い陣借りをして従軍して功を立て、漸く帰参することができた。家康の嫡男・信康の家臣として父と共に付けられたものの、信康が武田氏との内通の罪により自刃させられると再び出奔し、和泉国に在した。
天正10年(1582年)に本能寺の変が勃発し、堺を遊覧中であった家康を本国へと脱出させた伊賀越え小栗吉忠らと共に貢献する。この功により再び帰参が許され、父・忠家の旧領・小島を与えられた。また三遠奉行の一人として検地などの代官であった吉忠の同心となり、後に吉忠の跡を継ぐ形で代官衆の筆頭になる。以後駿・遠・三の奉行職として活躍、豊臣秀吉による小田原征伐文禄・慶長の役では大軍を動かすための小荷駄による兵粮の輸送、街路整備などを一手に担い、代官としての地位を固めた。
家康が江戸に移封された後は関東代官頭として大久保長安彦坂元正長谷川長綱らと共に家康の関東支配に貢献した。
慶長15年(1610年)、61歳で死去、遺領と代官職は嫡男・忠政が継いだ。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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