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伊志嶺吉盛 : ウィキペディア日本語版
伊志嶺吉盛[いしみね よしもり]

伊志嶺 吉盛(いしみね よしもり、1953年11月23日 - )は、沖縄県石垣市出身の高校野球指導者である。
==人物・来歴==
石垣島の沖縄県立八重山農林高等学校から本島の沖縄大学に進み、準硬式野球で全国制覇したが、帰島して八重山商工監督に。一度引退したが、同市の野球部監督派遣事業に伴い、2003年春に同校監督に復帰。2006年春のセンバツに初出場。そして、同年夏の甲子園に初出場。春夏連続出場を果たし、全国最南端高校の偉業と注目された。主力であった大嶺祐太らを小学生時代から指導していた。そのため入学時から期待されていた世代だったが、選手のほとんどが同じ石垣島育ちの幼馴染で競争意識が無く朝練を休んだりサボったりとのんびりした性格が災いし当初は勝ちきれずにいた。伊志嶺は徹底したスパルタ指導で選手たちを鍛え上げ春夏連続での甲子園へと導いた。甲子園では後にセンバツ制覇する横浜高校を追い詰めたり千葉経大付との延長戦に突入した死闘など感動を呼んだ。
だがその年以降八重山商工は甲子園から遠ざかっている。



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊志嶺吉盛」の詳細全文を読む



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