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伊方原発訴訟[いかたげんぱつそしょう]
伊方原発訴訟(いかたげんぱつそしょう)とは、1973年から2000年にかけて、四国電力伊方発電所(伊方原子力発電所。以下「伊方原発」と表記)の安全性をめぐって争われ、建設に反対する住民側の敗訴に終わった行政訴訟である。2011年末に再び訴訟が起こされ、2016年現在係争中である。 == 1973年から2000年までの訴訟 == 愛媛県西宇和郡伊方町では、半農半漁で過疎に悩んでおり、積極的な原発誘致運動を展開した。地元漁協も漁業権を放棄し補償を得た。こうして、伊方原発の1号機は1972年(昭和47年)11月に原子炉設置許可を受けて1977年(昭和52年)9月に運転を開始し、2号機は1977年3月に許可、1982年3月に運転を開始した。 一方で、1973年(昭和48年)8月、伊方原発1号機の周辺住民35人が、設置許可処分の取り消しを求めて松山地方裁判所に訴えを提起(1号機訴訟)し、設置許可の際、原子炉等規制法に基づいて行われた国の安全審査が不十分だと訴えた。日本初の原発訴訟で、行政処分の取消しの訴えにおける原告適格や原告の住所地での土地管轄(裁判の開催)が認められ、以後各地で同様の原発訴訟が提起されることとなった〔。町は賛成派と反対派に二分された。なおこの訴訟では、提訴以来、現地踏査や証人尋問に携わってきた判事が中途で異動している。 1号機訴訟について、1978年(昭和53年)4月、請求棄却判決、また、原発建設の決定権は国に属するとの判断が下された。原告は高松高等裁判所に控訴。1984年(昭和59年)12月14日、控訴棄却判決。原告は上告するも、1992年(平成4年)10月29日に最高裁は上告を棄却。1号機訴訟は原告敗訴が確定した。〔〕 1号機訴訟の一審が棄却された直後の1978年6月9日には、住民33人(のち提訴取り下げや死亡で21人になった)が2号機増設許可取り消しを提訴(2号機訴訟)。訴えは1号機訴訟とほぼ同じだが、航空機墜落の危険性や、1996年(平成8年)に原発沖の活断層(中央構造線断層帯)〔中央構造線#地震活動との関連も参照。〕が最大マグニチュード7.6の地震を起こす可能性があると判明したがこの活断層に対する国の事前の安全審査が不十分、といった新しい争点が加わった。2000年(平成12年)12月15日、松山地裁は住民の請求を棄却する判決を言い渡した。豊永多門裁判長は判決理由で、原告側が「国の見落とし」を指摘していた活断層の評価について「結果的に誤りであった」と、同様の訴訟では初めて国の安全審査の問題点に言及する一方で、設置許可に違法性はなく、航空機直撃の可能性も否定した。この判決に対し原告住民からの控訴はなく、判決が確定した。〔〔〕
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊方原発訴訟」の詳細全文を読む
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