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伊木忠義 : ウィキペディア日本語版
伊木忠義[いぎ ただよし]

伊木 忠義(いぎ ただよし、寛文9年5月21日(1669年6月19日) - 享保5年8月1日(1720年9月3日))は、岡山藩筆頭家老。第5代伊木家当主。通称は将監。主君は池田綱政継政
== 生涯 ==
忠義は伊木家初代忠次の二男・幸雄を初代とする分家(5千石)の4代目であった。実父は伊木兵庫幸知、実母は宗家4代忠親の姉・豊。幼名は三五郎。元服して通称を将監と名乗った。
忠親に嫡子がなかったため、元禄14年(1701年)に宗家の養子に迎えられ家督を相続する。幸雄系の分家はここで廃絶となった。
正室は池田長尚の娘とであったが、元禄6年(1693年)に没した。正室との間に子はなかった。正室没後、吉岡氏の娘を後妻に迎え、二男五女をもうけた。宝永元年(1704年)義父・忠親が没した。享年53。
宝永年間(1704年 - 1710年)、知行地の福谷村に新田開発を行う。
享保5年(1720年)8月1日、病没、享年52(数え年)。50歳を過ぎた頃から病気がちとなり、嫡子忠興火葬、および3代・4代の眠る千力山ではなく長島に墓所を造営するよう命じた。忠興は父の遺言通り、岡山市東区瀬戸町で荼毘に付し、長島に埋葬した。忠興が6代当主となった。
法名は摂受院殿明誉常照光念大居士。墓所は伊木家長島墓所(岡山県瀬戸内市)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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