翻訳と辞書
Words near each other
・ 伊東康孝
・ 伊東建設業協同組合
・ 伊東心愛
・ 伊東忠太
・ 伊東忠昭
・ 伊東怜
・ 伊東恒久
・ 伊東恵
・ 伊東恵司
・ 伊東恵里
伊東悌次郎
・ 伊東拓馬
・ 伊東政世
・ 伊東政喜
・ 伊東敏恵
・ 伊東敬祐
・ 伊東昂大
・ 伊東明日香
・ 伊東昭光
・ 伊東昴大


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

伊東悌次郎 : ウィキペディア日本語版
伊東悌次郎[いとう ていじろう]
伊東 悌次郎(いとう ていじろう、嘉永5年(1854年) - 慶応4年8月23日1868年10月8日))は、幕末会津藩士の子弟。白虎隊隊士。
== 略歴 ==
嘉永5年(1854年)、伊東佐太夫の次男に生まれた。母はすみ子。〔『幕末維新人名事典』〕
11歳で藩校・日新館に入り、尚書塾一番組に編入され、その勤学を藩公から屡々賞賜を受けた。
大伯父の某氏は柔術に精しく、また砲術家・山本覚馬の家と接近していたため、柔術も砲術も子供に似合わず上手であった。また、馬術もすぐれていた。
身長高く大柄だったので、父・左太夫は白虎隊士中二番隊長・日向内記に掛け合い、年齢を偽って白虎隊士中二番隊士になった。出陣にあたり、かねてから強く所望していた名刀(備前兼光)を両親から与えられ、喜び勇んで出陣していったという。〔『幕末維新人名事典』〕
慶応4年8月22日1868年10月7日)、藩主・松平容保に従って滝沢に向かい、進んで戸ノ口原に出陣し、戦ったが新政府軍にはかなわず、退却することになった〔このとき既に死亡したという話もある〕。
翌日、負傷した池上新太郎を助けているうちに、白虎隊士中二番隊の17人より遅れて飯盛山に着き、既に自決した同士の姿を見て、悌次郎も自刃したという。〔『幕末維新人名事典』〕
享年15。
墓は福島県会津若松市一箕町の飯盛山

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊東悌次郎」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.