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伊東 昂大(いとう こうた、1991年7月25日 - )は、神奈川県大和市出身の元プロ野球選手(投手)。実兄は、東北楽天ゴールデンイーグルスの伊東亮大。 == 来歴・人物 == === プロ入り前 === 上和田小では大和隼球団で野球を始め、上和田中ではボーイズリーグ横浜瀬谷に所属。 高校は岩手県の盛岡大付高に進学し、1年夏からベンチ入り。2年夏の甲子園では2番・一塁手として出場。3年春の岩手県大会では菊池雄星のいる花巻東高と準決勝で対戦し、8回2安打と好投するもチームは3-1で敗退。しかし3位決定戦に勝利し、東北大会に出場すると投手でありながら4番で.529という高打率でチームを優勝に導いた。3年夏は準決勝で盛岡一に0-1で敗れ、決勝で菊池へのリベンジとはならなかった。 10月29日に行なわれたドラフト会議で広島東洋カープが投手として5位指名し、交渉権を獲得。広島には中学時代と高校の修学旅行で訪れており、1度目は「歴史の詰まった街」と好印象を抱いていた。また2度目の高校時の修学旅行の際には、最後の広島市民球場を訪れて「プロの球場」とプロへの憧れに想いを馳せていた〔広島5位・伊東昴大、一軍昇格へ雑草魂で サンケイスポーツ、2009年10月30日〕。 指名された際には、同学年で1位指名の今村猛、2位指名の堂林翔太の二人〔、東北のライバルだった菊池雄星、下沖勇樹には負けたくないとライバルとして位置づけ、今後のプロ生活で切磋琢磨していく事を誓った。また、この年の目玉として6球団が指名競合した菊池雄星とは、メールでやり取りする友人であり、指名直後に送られてきた66通のメールの中に「お互いプロで頑張ろう。」とする彼のメールが送られていた〔広島5位の伊東は猛特訓大歓迎 日刊スポーツ、2009年10月31日〕。また、女手一つで4人の子供を育ててくれた母には、「本当に今までありがとう。これからも頑張ります」とお礼の言葉を、その日も横浜市内で午後9時過ぎまで働いているためメールで報告をした〔。 11月8日に広島と仮契約した。契約についての質問では、主に寮についての話題中心で「金銭面には評価してもらった物が全て出て満足」としていた〔盛岡大付・伊東が広島と仮契約「実感沸いてきた」 岩手日報、2009年11月9日〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊東昂大」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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