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伊東武夫 : ウィキペディア日本語版
伊東武夫[いとう たけお]

伊東 武夫(いとう たけお、1889年明治22年)7月6日 - 1965年昭和40年)2月24日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将
==経歴==
福岡県に生れる。1909年(明治42年)、陸軍士官学校に入校し1911年(明治44年)5月、同校(23期)を卒業。同年12月、陸軍歩兵少尉に任官。
1937年(昭和12年)7月、留守第6師団司令部付となり、翌月、歩兵大佐に昇進。1938年(昭和13年)3月、第8国境守備隊第1地区隊長に就任し海拉爾要塞守備に従事。1940年(昭和15年)3月、独立混成第9旅団付となり、同年8月、歩兵第114連隊長に就任し日中戦争に出征。援蒋ルート遮断作戦に参加した。
1941年(昭和16年)8月、陸軍少将に進級し第38歩兵団長に就任。太平洋戦争開戦に伴い、第16軍隷下として蘭印作戦に参加しジャワ島を攻略。次いで第17軍戦闘序列に編入。
1942年(昭和17年)10月、ガダルカナル島の戦いに投入され、撤退するまで苦戦を続けた。
1944年(昭和19年)7月、独立混成第40旅団長に発令され、ニューアイルランド島守備を担当。同年10月、陸軍中将に進み終戦を迎えた。
戦後、戦犯容疑(間諜処刑事件)により拘留され、ラバウルでのオーストラリア軍軍事法廷において、1946年(昭和21年)5月24日、銃殺刑の判決を受けたが、同年10月28日に無罪となった〔参考文献『真相を訴える』、65頁、302頁。〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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