翻訳と辞書
Words near each other
・ 伊東祐之
・ 伊東祐之 (薩摩藩士)
・ 伊東祐之 (飫肥藩主)
・ 伊東祐亨
・ 伊東祐俊
・ 伊東祐保
・ 伊東祐信
・ 伊東祐修
・ 伊東祐充
・ 伊東祐兵
伊東祐勝
・ 伊東祐吉
・ 伊東祐吏
・ 伊東祐命
・ 伊東祐国
・ 伊東祐堯
・ 伊東祐安
・ 伊東祐安 (三代当主)
・ 伊東祐安 (室町時代)
・ 伊東祐実


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

伊東祐勝 : ウィキペディア日本語版
伊東祐勝[いとう すけかつ]

伊東 祐勝(いとう すけかつ)は、安土桃山時代武将伊東氏の家臣。
== 略歴 ==
父・伊東義益永禄12年(1569年)に病死したため、祖父・義祐によって養育された〔。天正5年(1577年)に伊東氏が没落すると母の縁者である大友宗麟の保護を受けた〔。同8年(1580年)に宗麟の影響を受けてキリシタンとなり「ジェロニモ」(ゼロニモ〔)の洗礼名をもらう。また安土(現・近江八幡市安土町)のセミナリオに留学し、天正遣欧少年使節の代表の候補者となるが、安土留学中で出発に間に合わないため外された(『イエズス会日本通信』)。
天正15年(1587年)、豊臣氏による九州平定後、叔父・伊東祐兵飫肥城に復帰すると帰参した。文禄の役では、兄・義賢や叔父らと朝鮮に出兵するも病気となり帰国。その途中で船が暴風雨に襲われ長門国まで流されてしまい、同地で病状が悪化し死去した〔。享年24。没月日には「7月14日」説もある。
なお、兄・義賢と前後して死去していることから、伊東祐兵との家督争いを防ぐために家臣により暗殺されたとする説もある(『日向纂記』巻7-9)。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「伊東祐勝」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.