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伊東祐立[いとう すけはる]
伊東 祐立(いとう すけはる)は、室町時代の武士。日向伊東氏5代(伊東氏10代)当主。都於郡城主。 父・伊東祐安に従って日向国守護の島津氏の度重なる攻勢に対抗した。応永20年(1413年)、島津氏との戦いで日向曽井城(現在の宮崎県宮崎市恒久)に籠城して抗戦し、島津方の樺山教宗・北郷知久を破り撤退させた。 応永32年(1425年)、姉婿・島津久豊が没すと、守護を継承した島津忠国と親交を深めるため鹿児島に赴くが、宴席で祐立の毒殺の企てがあり、これは主膳役の密告によって辛くも脱出した。応永34年(1427年)、父の隠居に伴い家督を相続。 永享6年(1434年)、父・祐安が死去すると、またしても島津氏の攻撃を受けるが、妻の実家である土持氏の助力もあり辛うじて防戦し、和睦に至った。これにて島津氏の脅威は一旦終わり、伊東氏は約50年間に渡る勢力拡大期に入った。 文安元年(1444年)、上洛途中の播磨国疣河(いぼかわ)の渡しで落馬死。享年58。 家督は子の祐堯が継いだが、系図の混乱もありはっきりしない(一説によれば、間に祐武という男子がおり、その子(すなわち祐立の孫)が祐堯であったともされる)。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊東祐立」の詳細全文を読む
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