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伊東祐豊 : ウィキペディア日本語版
伊東祐豊[いとう すけとよ]

伊東 祐豊(いとう すけとよ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将日向伊東氏島津氏の家臣。
== 生涯 ==
河崎祐長の長男であるが、伊東平右衛門祐氏の養子となる。なお、実家は弟の大学が相続したという。慶長元年(1596年)、稲津重政(掃部)と不和になり、父と共に飫肥藩を出て大坂に滞在していたところ、島津義弘に召しだされて1千石で仕官し、川崎氏を称す。慶長19年(1614年)当時は、新納右衛門佐と京大坂蔵奉行を務め、大坂の陣の際に新納と加治木人数差出を担当する。寛永元年(1624年)に伊東氏に復姓。寛永7年(1630年)に吉田次郎兵衛と共に唐船奉行に就任する。嫡孫に刑部左衛門祐平。
自宅に島津家久が2度来訪し、「芦谷」という釜を賜る。和歌一首付く。「釣らるとも ふすへらるとも 心から よしやあしやは 人の言なし」

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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