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伊橋 勲(いはし いさお、1967年2月16日 - )は、日本のレーシングドライバー。 == 概歴 == 2003年、PCJカップやアイドラーズなどのクラブマンレースを経て、ツインリンクもてぎで開催された全日本GT選手権GT300クラスに『外車の外国屋ダンロップポルシェ』でデビュー。(クラス17位)。 2005年に主な活動の場をポルシェ・カレラカップジャパンに移し、参戦初年度にしてシリーズチャンピオンを獲得。 その年のスーパー耐久シリーズST3クラスに東名スポーツから『トータルスポーツingsZ』(日産・フェアレディZ)で参戦を開始。最終戦のツインリンクもてぎで大井貴之と組み、参戦2戦目にしてクラス優勝を果たす。 またスーパーGTやインターナショナルポッカ1000kmにも参戦。 2006年は引き続きポルシェ・カレラカップジャパンに参戦。6戦全勝(うちポールトゥウイン5回)という圧倒的な成績で2年連続のシリーズチャンピオンを獲得する。 なお、このタイトル獲得によりポルシェ・カレラカップジャパンにおいて996、997と2つのモデルにおいてタイトルを獲得したことになる。2011年11月現在、異なるモデルでのタイトル獲得はポルシェ・カレラカップジャパン史上唯一伊橋のみである。 スーパー耐久は『トータルスポーツingsZ』(日産フェアレディZ)で開幕戦のみスポット参戦。大井貴之とのコンビでST3クラス優勝を果たす。 スーパーGTには鈴鹿1000kmに『外車の外国屋アドバンポルシェ』でスポット参戦、初ポイントを獲得する。 2007年にはカルラレーシングより『カルラレーシング☆ings北海Z』(日産フェアレディZ)でスーパー耐久ST3クラスに初のフル参戦。2005年もてぎ、2006年仙台に続き大井貴之とコンビを組む。 また十勝24時間では松田次生をCドライバーに加え、盤石のチーム体制を整えた甲斐あって自身初となるST3クラスチャンピオンを獲得する。 ポルシェ・カレラカップジャパンにもスーパー耐久同様カルラレーシングよりスポット参戦を行う。 2008年は東名スポーツから『UNT Racing☆ings Z』(日産フェアレディZ)で参戦。パートナーは堤明彦。 この年の伊橋は速さを見せる事もしばしばあったが、シーズンを通してトラブルに多く見舞われ、シリーズランキングは5位に留まる。 2009年は引き続きスーパー耐久ST3クラスに参戦。岡部自動車のフェアレディZ、牧口エンジニアリングのBMW M3と複数のチーム/マシンでの参戦となる。 牧口エンジニアリングで3勝、岡部自動車で1勝と合計で4勝をあげるもシリーズランキングはクラス4位に留まる。 2010年には引き続き牧口エンジニアリングのBMW M3でスーパー耐久ST3クラスに参戦。 廣田秀機、三澤伸輔と組み、年間3勝をあげ自身2度目のST3クラスチャンピオンを獲得した。 2011年はBENDから『DIAMANGO-Z』(日産フェアレディZ)で影山正彦、石原将光と組んで富士、岡山、鈴鹿にスポット参戦。 富士では怒濤の追い上げを見せ3位を獲得するなど、随所で速く安定感のある走りを見せている。 2012年の活動休止期間を経て、2013年は第4戦富士にSKR ENGINEERINGより『SKR ENGINEERING S2000』(ホンダS2000)でST4クラスにスポット参戦。 自身が担当したDドライバー予選でST4クラスのトップタイムをマークする。 そして第6戦鈴鹿では岡部自動車より『岡部自動車KYOSHIN計測Z34』(日産フェアレディZ)でST3クラスにスポット参戦。 Bドライバー予選でトップタイムをマークする。 2014年は岡部自動車より『岡部自動車サントラント195マイカーズZ』(日産フェアレディZ)でフル参戦。 第5戦鈴鹿で優勝を果たし、ST3クラスのシリーズランキング3位を獲得した。 モータースポーツ以外の活動としてはドライビングレッスン等に携わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊橋勲」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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