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伊瀬知好成[いせち よしなり]
伊瀬知 好成(いせち よしなり、1848年11月23日(嘉永1年10月28日) - 1922年(大正11年)9月29日)は、日本の陸軍軍人。貴族院議員。陸軍中将勲一等功四級男爵 。 ==経歴== 薩摩藩士の子弟として生まれる。 1871年9月10日(明治4年7月25日)、陸軍少尉に任官。1886年(明治19年)5月、歩兵第8連隊長となり、1890年(明治23年)6月、歩兵大佐に昇進して近衛歩兵第3連隊長に異動。1894年(明治27年)9月、歩兵第2連隊長に就任。 日清戦争に出征し、旅順攻略戦に参加。1895年(明治28年)1月、大寺安純少将の後任として第1師団参謀長となった。翌月、陸軍少将として大寺少将後任の歩兵第11旅団長に就任。同年11月、威海衛占領軍司令官を兼務し、1896年(明治29年)5月に復員。1898年(明治31年)10月、近衛歩兵第2旅団長。1900年(明治33年)4月、陸軍中将に進み、第6師団長に親補された。1902年(明治35年)5月に休職し、1904年(明治37年)6月、留守近衛師団長として復帰したが、1906年(明治39年)5月14日に再び休職し〔『官報』第6861号、明治39年5月16日。〕、翌年11月13日、予備役に編入〔『官報』第7315号、明治40年11月14日。〕。1909年4月1日に後備役となる〔『官報』第7755号、明治42年5月5日。〕。1914年(大正3年)4月1日に退役した〔『官報』第507号、大正3年4月10日。〕。 1907年(明治40年)9月21日、西南・日清・日露戦争の軍功により男爵を授けられる。1910年(明治43年)12月27日、貴族院勅選議員に就任した〔『官報』第8257号、明治43年12月28日。〕。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊瀬知好成」の詳細全文を読む
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