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伊然可汗[いねんかがん] 伊然可汗(いねんかがん、拼音:Yīránkĕhàn、? -734年)は、東突厥第二可汗国期の可汗。毘伽可汗の長子。姓は阿史那氏、名は不明。伊然可汗というのは可汗号で、イネル・カガン(Inäl Qaγan)を漢字表記したもの〔『騎馬民族史2』p136,184〕。 ==生涯== 開元22年(734年)、毘伽可汗は大臣の梅録啜(ブイルク・チュル)に毒殺されたので、国人は毘伽可汗の子を立てて伊然可汗(イネル・カガン)とした。唐の玄宗は詔で宗正卿の李佺を弔問に赴かせるとともに、伊然可汗を冊立して碑廟を立てさせ、史官で起居舍人の李融にその碑文を書かせた〔いわゆる『ビルゲ・カガン碑文』のこと。〕。 しかし、伊然可汗がまもなく病死したので、国人はその弟を立てて登利可汗(テングリ・カガン)とした。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊然可汗」の詳細全文を読む
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