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伊能嘉矩 : ウィキペディア日本語版
伊能嘉矩[いのう かのり]
伊能 嘉矩(いのう かのり、慶応3年5月9日1867年6月11日) - 大正14年(1925年9月30日)は、日本人類学者民俗学者
明治時代においていち早く人類学を学び、特に台湾原住民の研究では膨大な成果を残した。郷里岩手県遠野地方の歴史・民俗・方言の研究にも取り組み、遠野民俗学の先駆者と言われた。梅陰子という筆名での著作も多数ある。
== 来歴 ==
慶応3年(1867年)、横田村(現在の岩手県遠野市東舘町)に生まれる。父母を早くに亡くしたが、両祖父から漢学・国学・国史などを学び、若くして学才を発揮する。明治18年(1885年)、上京して斯文黌に学ぶ。自由民権運動にも参加し、岩手県に戻り入学した岩手師範学校では寄宿舎騒動の首謀者とみなされ放校処分を受ける。その後、再び上京、新聞社・出版社勤務を経た後、明治26年(1893年)東京帝国大学坪井正五郎から人類学を学んで、同門の鳥居龍蔵と出会った。明治27年1893年)12月、鳥居と週一回行う人類学講習会を催した。
明治28年(1895年)、日清戦争の結果、日本に割譲された台湾に目を付け、台湾総督府雇員となって台湾全土にわたる人類学調査に取り掛かった。その調査結果は、『台湾蕃人事情』として台湾総督府民政部文書課から刊行された(粟野伝之丞との共著)。
明治39年(1906年)帰国後は、郷里遠野を中心とした調査・研究を行うようになる。この間の著作に『上閉伊郡志』『岩手県史』『遠野夜話』などがある。研究を通じて柳田國男と交流を持つようになった。郷里の後輩である佐々木喜善とともに柳田の『遠野物語』成立に影響を与えた。
大正14年(1925年)、台湾滞在中に感染したマラリアが再発するという思いがけない死を迎えた。59歳であった。死後、柳田は伊能の残した台湾研究の遺稿の出版に力を注ぎ、それは昭和3年(1928年)『台湾文化志』として刊行された。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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