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伊藤 友季子(いとう ゆきこ、1982年12月20日 - )は、日本のバレエダンサー、バレエ指導者である。幼少期にロンドンでバレエを始め、10歳のときにロイヤル・バレエ学校ロウアー・スクール(ホワイト・ロッジ)に入学した〔『ダンスマガジン』2004年12月号、pp .64-65.〕〔『ダンスマガジン』2015年7月号、pp .68-69.〕。1996年に日本に帰国し、橘バレヱ学校、AMスチューデンツ、新国立劇場バレエ研修所で学んだ〔〔。2003年に牧阿佐美バレヱ団に入団して2004年に『リーズの結婚』で主役デビューを果たし、以後同バレヱ団の主力ダンサーとして活躍した〔〔。中学生時代から高校1年生の頃まで、バレエ雑誌『クララ』(新書館)誌上で表紙やレッスンページなどのモデルを多く務めたことでも知られる〔〔『ダンスマガジン』2015年7月号、pp .70-71.〕。 == 経歴 == === 幼少期 === 静岡県浜松市の生まれ〔。浜松で育ち、5歳上の兄と4歳下の弟がいた〔。4歳のときに父親がイギリスに転勤することとなり、一家で同行することになった〔〔〔。 バレエを始めたのは5歳のときで、通っていた幼稚園でできた友達が習っていたのを見学して「私もやりたい」と言ったという〔〔〔。最初はお遊戯程度の習い事であったが、6歳か7歳くらいのときに母親に連れられてロイヤル・バレエ団の『白鳥の湖』(ヴィヴィアナ・デュランテ主演)を鑑賞した〔。デュランテの舞台に感動した伊藤は、さらにバレエの世界に憧れを抱くようになった〔〔。 伊藤は本格的なバレエ教育へのステップアップのために、平日にはロイヤル・アカデミー・オヴ・ダンスの本校で学びながらロイヤル・バレエ 学校が週末のみ開いているジュニア・アソシエートにオーディションを受けて入学した〔〔〔。ジュニア・アソシエートには3年ほど在籍し、『ピーターラビットと仲間たち』の子役で初舞台を踏んだ〔〔。10歳のときに、ロイヤル・バレエ学校ロウアー・スクール(ホワイト・ロッジ)のオーディションを受けることになった〔〔。 ホワイト・ロッジは競争率が高い学校のため、伊藤は「これに受からなかったら本格的にバレエをやるのは止める」という約束を母親と交わし ていた〔〔。入学時には、身体検査から親のプロポーションに至るまで全部調べられた〔。伊藤自身によると、股関節の可動域に左右差があったため最後の面談のときにに『少しそこが気になりますが、大丈夫でしょう」と入学を許可されたという〔。同時に入学した女子生徒は11人ほどいて、日本人は伊藤を含めて3人いた〔。 ホワイト・ロッジへの入学後は、寮生活を送ることになった〔〔。バレエに関しては毎日が基本を徹底的に学ぶことの繰り返しだったが、周りも同じ目標を持った生徒ばかりだったため苦にはならず刺激的だったという〔『ダンスマガジン』2015年7月号、pp .70-72.〕。舞台に立つチャンスも与えられ、『白鳥の湖』のコールド・バレエとして「シグネット」(幼い白鳥)役で何回か出演を果たした〔〔。『白鳥の湖』では、憧れのヴィヴィアナ・デュランテやダーシー・バッセルとともに踊る機会もあった〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤友季子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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