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伊藤崇文 : ウィキペディア日本語版
伊藤崇文[いとう たかふみ]

伊藤 崇文(いとう たかふみ、1972年6月21日 - )は、日本男性総合格闘家プロレスラー大阪府大阪市出身。パンクラスism所属(元・道場長)。
== 来歴 ==
1994年、第2回パンクラス入門テストに合格し、パンクラスに入団〔365人インタビュー 格闘技ウェブマガジンGBR 2009年6月25日〕。
1995年1月26日、パンクラス生え抜き第1号選手としてプロデビュー〔パンクラス 横浜文化体育館大会 スポーツナビ〕。
1995年7月、ネオブラッド・トーナメントに出場。ジェフ・マサギリ稲垣克臣柳澤龍志に勝利を収め優勝を果たした。ネオブラッド・トーナメント優勝後、2つの引き分けを挟んで9連敗を喫した。
1997年1月17日、パンクラスでヘイガー・チンと対戦し、TKO勝ち。連敗から脱出した。
1997年7月の道場分割では鈴木みのる率いる「横浜道場」(パンクラス横浜)所属となった。
2001年6月10日、The CONTENDERSで鈴木みのるとタッグと組み、宇野薫&高瀬大樹組と対戦し、ドローとなった〔01.06.10 G.C.M The CONTENDERS "Millennium-1" BoutReview 2001年6月10日〕。
2002年3月25日、初代ウェルター級王者決定トーナメント1回戦で港太郎に3-0の判定勝ち〔[パンクラス] 3.25 後楽園:美濃輪、PRIDE参戦前に大苦戦 BoutReview 2002年3月25日〕。7月28日、準決勝で長岡弘樹に3-0の判定勝ちを収めるも、決勝では國奥麒樹真腕ひしぎ十字固めで一本負けを喫し王座獲得はならなかった〔[パンクラス] 7.28 後楽園 (ウェルタートーナメント):國奥が二冠達成 BoutReview 2002年7月30日〕。
2002年6月9日、初参戦となったDEEP日高郁人と対戦し、チョークスリーパーで一本勝ちを収めた〔[DEEP2001] 6.9 有明:トーナメントは泥沼の展開。和田は打撃戦 BoutReview 2002年6月9日〕。
2003年11月30日のパンクラス大会のリング上でパンクラス顧問船木誠勝が「正直言って、ismどうしようもないっすね。ismは正直言って自分、解散して欲しいです」と発言〔[パンクラス] 11.30 両国:近藤、菊田を左フックでノックアウト BoutReview 2003年11月30日〕。12月21日の大会でリンソン・シマンジュンタクにアームロックを一本勝ちを収めた後にリング上で「パンクラスismは解散なんかするか!アホ!」と反論した〔[パンクラス] 12.21 有明:山宮、郷野と一心同体のボクシング BoutReview 2003年12月21日〕。
2004年8月30日付けでパンクラスを退団したパンクラスism道場長國奥麒樹真に代わり、パンクラスismの道場長に就任した〔[パンクラス] 國奥が退団しフリーに。ウェルター級王座も返上へ BoutReview 2004年8月30日〕。
2004年10月12日、パンクラスで門馬秀貴と対戦し、三角絞めで一本負け。試合後のリング上でキックボクシング挑戦を宣言した〔[パンクラス] 10.12 後楽園:岡見,長谷川,門馬が完勝 BoutReview 2004年10月12日〕。11月28日、全日本キックボクシング連盟の公式プロテストを受験し、合格した〔[全日本キック] パンクラス伊藤、「筋を通すため」プロテスト受験 BoutReview 2004年11月28日〕。
2005年4月17日、初参戦となった全日本キックボクシング連盟でジョン・ジュンヒョクと対戦し、1ラウンドに3度のダウンを奪いKO勝ちとなった〔[全日本キック] 4.17 後楽園:前田尚紀、MA大高を粉砕 BoutReview 2005年4月17日〕。
2005年10月16日、全日本キックボクシング連盟で小宮隆司と対戦し、2ラウンドに3度のダウンを奪われKO負けとなり、キックボクシング3戦目での初黒星となった〔[全日本キック] 10.16 後楽園:ムエタイに全敗も日本健闘 BoutReview 2005年10月16日〕。
2006年2月18日、全日本スーパーウェルター級王座決定トーナメント1回戦で白川裕規と対戦し、右ストレートでKO負けを喫した〔[全日本キック] 2.18 新宿:望月&伊藤、王座T初戦敗退 BoutReview 2006年2月18日〕。
2008年1月7日付けで「活性化を図るため」にパンクラスism道場長を辞任し、新道場長には大石幸史が就任した。道場にはそのまま残った〔【パンクラス】伊藤崇文がパンクラスism道場長を辞任、大石幸史に交代 格闘技ウェブマガジンGBR 2008年1月8日〕。
2009年6月28日、DEEP TOYAMA IMPACTのセミファイナルでBarbaro44と対戦。サッカーボールキックからのパウンド連打でTKO負けを喫した〔[DEEP] MIKU、リサ・ワードから一本。Barbaro快勝 BoutReview 2009年6月29日〕。
2011年3月6日のZERO1両国国技館大会で、栗栖正伸トレーニングジム時代の同期・日高郁人と初のプロレスルールでインターナショナルジュニアヘビー級王座を賭け対戦した〔対戦自体は2002年6月9日以来。〕。8月7日には日高と組んでNWAインターナショナルライトタッグ王座を奪取した。
2015年10月10日、KEI山宮とタッグを組み、全日本プロレスに参戦。プロレスルールで団体期待の若手レスラー野村直矢青柳優馬と対戦し勝利した。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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