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伊藤 雄二(いとう ゆうじ、1937年1月14日 - )はJRAの元調教師、元騎手。大阪府北河内郡枚方町(現・枚方市)〔優駿2010年2月号。〕出身。 == 来歴 == 旧姓は木下。父は、昭和初期から戦後にわたり金鈴という名馬などに乗り、馬場馬術界で活躍した木下芳雄。 枚方市生まれの兵庫県西宮市育ちであった伊藤は、父の開いた乗馬クラブで幼い頃から馬に親しみ、高校時代〔西宮市立西宮高等学校出身。〕は馬術部に所属し、高校1年の時には全日本の大会で3位に入った事がある。 父親が本人に相談しないまま、阪神競馬場所属の伊藤正四郎調教師と相談して競馬界入りを決めた為、18歳の誕生日を迎えた翌日の1月15日に、高校在学のまま入門した。その後騎手見習いとなり、1959年に騎手デビュー。初騎乗は3月7日の第1回阪神競馬1日目第4競走サラブレッド系障害戦で、ブルーという馬に騎乗して5着となったが、3回目の騎乗の3月14日に、同じ馬で初勝利を挙げた。 その後、1960年7月に伊藤の女婿となり、伊藤姓に変わった〔「優駿」誌の1965年の若手騎手紹介のページによると、恋愛結婚であり、テレビ番組で結婚式を挙げたとの事。〕。その後坪重兵衛厩舎に移籍したが、普段から体重が55kg程度あり、主に障害競走を中心に騎乗していた。 1966年、29歳のときに義父が急逝。伊藤は急遽騎手を引退して調教師に転身。阪神競馬場で開業して伊藤の跡を継いだ。1969年の栗東トレーニングセンター開設後は同地に所属した。 JRA調教師伊藤正徳は義弟、娘の笹田淑はJRA初の女性調教助手、その夫は笹田和秀調教師(結婚当時は調教助手)。息子の伊藤強は調教助手。孫・笹田知宏は、兵庫県競馬所属の騎手。 これまでにマックスビューティ、シャダイカグラ、ウイニングチケット、エアグルーヴ、ファインモーションなどの名馬を手がけている。 2005年2月19日JRAでは8人目となる調教師通算1100勝を達成した。現在では1厩舎の所有する馬房の数に最大28の上限があるため、かつての時代と比べると1000勝までを達成することはかなり難しくなった。この記録は伊藤が若くして調教師に転身したために達成できた数字であると言える。 伊藤と同じく若くして調教師となった美浦トレーニングセンター所属の藤沢和雄調教師を伊藤は一時期ライバル視している言動が目立った。 2007年2月28日で定年により調教師を引退したが、伊藤はあくまでも「中締め」で今後も忙しいだろうとコメントしている。 現役時代は「伊藤雄」と表記されることが多かった。これは同じ調教師の伊藤修司らとの区別のためである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊藤雄二」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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