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伊予親王(いよしんのう、延暦2年(783年)? - 大同2年11月12日(807年12月14日))は、平安時代初期の皇族。桓武天皇の第三皇子(異説あり)。官位は三品・中務卿、贈一品。 == 経歴 == 大同元年(806年)中務卿兼大宰帥に任ぜられる。しかし、翌大同2年(807年)反逆の首謀者であるとして母・藤原吉子とともに川原寺(弘福寺)に幽閉され、絶食した後毒を飲んで自害した。異母兄平城天皇の側近であった藤原式家・藤原仲成に操られた藤原宗成に失脚させられたものとされる(伊予親王の変)。 後に親王の無実が判明し、承和6年(839年)に一品が追贈された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊予親王」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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