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伊賀朝光[いが ともみつ]
伊賀 朝光(いが ともみつ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。藤原秀郷流の関東の豪族。伊賀氏の祖。娘に鎌倉幕府2代執権・北条義時の後室伊賀の方がいる。 == 略歴 == 蔵人所に代々使えた官人の出身で、朝光が伊賀守に任じられて以降、伊賀氏を称した。建久元年(1190年)11月の源頼朝の上洛に供奉している。正治年間に左衛門少尉、承元4年(1210年)3月に伊賀守に任じられる。建暦2年(1212年)12月、従五位上に除す。 娘婿である北条義時が鎌倉幕府の2代執権となった事から、朝光の子らは義時の外戚として活躍した。建保3年(1215年)9月14日 に朝光が死去し、翌日山城前司行政の家の後山に埋葬された際には、義時も参列している。 長男光季は承久3年(1221年)の承久の乱で京方の襲撃を受けて自害し、光宗と伊賀の方は貞応3年(1224年)6月の伊賀氏の変で謀反を図って流罪となる。三男の左衛門尉光資は貞応3年(1224年)3月23日に脚気のため死去している。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊賀朝光」の詳細全文を読む
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