翻訳と辞書 |
伊達国隆[だて くにたか]
伊達 国隆(だて くにたか)は、江戸時代の仙台藩一門第六席・岩谷堂伊達氏第2代当主。 == 生涯 == 慶長19年(1614年)一門伊達政隆の子として生まれる。幼名は子々松。 元和元年(1615年)8月、父政隆の死去により2歳で家督と知行1000石を相続し、陸奥国栗原郡清水邑主となる。寛永19年(1642年)領内で行われた寛永総検地が「二割出目」で行われたため、正保元年(1644年)8月、出目高を加増され、知行1200石となる。同年9月、世子光宗に仙台城書院で御礼御目見する。 正保4年(1647年)5月、藩主忠宗七男藤松丸(宗規)を婿養子に迎える。慶安元年(1648年)9月11日死去。享年35。家督は藤松丸(宗規)が相続した。 万治2年(1659年)宗規が江刺郡岩谷堂に転封となり、代々治めたため岩谷堂伊達氏と呼ばれる。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達国隆」の詳細全文を読む
スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース |
Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.
|
|