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伊達宗重[だて むねしげ]
伊達 宗重(だて むねしげ)は、江戸時代初期の仙台藩一門第四席・涌谷伊達氏第2代当主。伊達騒動の主要人物の一人。伊達安芸の通称で知られる。 == 生涯 ==
=== 家督相続まで === 元和元年(1615年)11月5日、涌谷伊達家初代当主・伊達定宗の次男として生まれる。涌谷伊達家は、涌谷要害を居城として22,000石を領していた。 成長後、準一家天童氏当主・天童重頼の娘と結婚して婿養子となり、天童甲斐頼長と名乗った。しかし寛永16年(1639年)、世子であった兄・宗実が29歳の若さで死去したため、頼長が実家に呼び戻されて世子となった。この際、仙台藩第2代藩主・伊達忠宗の偏諱を賜って伊達信濃宗重と改名する。慶安4年(1651年)、父・定宗の隠居により家督を相続し(定宗は翌年死去)、涌谷伊達家当主代々の受領名・安芸守を称して、伊達安芸宗重と名乗った。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達宗重」の詳細全文を読む
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