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伊達宗成[だて むねしげ]
伊達 宗成(だて むねしげ)は、江戸時代前期の仙台藩一門第二席・亘理伊達氏第3代当主。 == 生涯 == 寛永13年(1636年)、亘理伊達氏第2代当主・伊達宗実の子として生まれる。 正保4年(1647年)に元服する。明暦3年(1657年)、伯父・忠宗に随行して将軍・徳川家綱に拝謁し、万治3年(1660年)には涌谷伊達宗重の娘を正室に迎えた。 寛文5年(1665年)に父・宗実の死去にともない家督を相続したが、この頃になると岳父・宗重と叔父・宗勝との争いが深刻化しつつあり(詳細は伊達騒動を参照)、寛文8年(1668年)6月に伊東重門が宗勝の暗殺を企てたとして改易されると、その後継として弟の宗定が伊東家の新当主に迎えられた(伊東重定)。 寛文10年(1670年)6月1日死去。享年35。嫡男の千代松(基実)が家督を相続した。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達宗成」の詳細全文を読む
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