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伊達宗翰[だて むねもと]
伊達 宗翰(だて むねもと)は、伊予吉田藩の第7代藩主。 == 生涯 == 寛政8年(1796年)6月19日、宇和島藩の第6代藩主・伊達村寿の四男として生まれる。文化13年(1816年)5月22日、吉田藩主・伊達村芳の婿養子に迎えられた。直後の11月6日に村芳が隠居したため家督を継ぎ、12月に従五位下・紀伊守に叙位・任官する。 藩財政再建を目指して文政5年(1822年)に自ら倹約令を出し、下級武士を職人見習いにさせるなどしている。しかし天保3年(1832年)の旱魃、天保の大飢饉などで財政はさらに苦しくなり、領民の救済などに努めざるを得なくなった。また、文武を奨励している。天保14年(1843年)6月24日に家督を養子の宗孝に譲って隠居する。弘化2年(1845年)7月8日、吉田で死去。享年50。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊達宗翰」の詳細全文を読む
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