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国分盛重[こくぶもりしげ]
国分 盛重(こくぶん もりしげ)は、伊達政宗に仕えた戦国時代の武将で後に久保田藩士。秋田伊達氏初代。はじめ伊達政重といい、国分氏を継いで国分政重、ついで国分盛重と名を改め、最終的には伊達盛重と名乗った。通称は彦九郎、三河守。 == 概要 == 兄の輝宗の代のとき、天正5年(1577年)に国分氏のもとに代官として遣わされ、後に国分氏を継いだ。国分氏は今の仙台市付近を治めた小大名で、これによって伊達氏に従属した。盛重は伊達氏の武将として活躍し、天正13年(1585年)に甥にあたる主君政宗の下で人取橋の戦いに加わった。しかし、家中の反発を抑えきれず、天正15年(1587年)に政宗に討伐されかかった。盛重は政宗に謝罪して許されたが、国分氏の家臣は政宗直轄とされた。天正18年(1590年)から19年(1591年)の葛西大崎一揆鎮圧で、伊達政宗と蒲生氏郷が不和になったときに、氏郷の帰国の安全を保証する人質になった。盛重はその後も伊達氏一族の武将として重きをなしたが、慶長元年(1596年)に出奔して佐竹義宣のもとに走り、その家臣になった。慶長5年(1600年)に佐竹氏の転封に従って秋田に移り、横手城を与えられ、元和元年(1615年)に死んだ。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「国分盛重」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Kokubu Morishige 」があります。
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