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伊集院 峰弘(いじゅういん たかひろ、1988年6月4日 - )は、日本の元プロ野球選手(内野手)。 == 経歴 == 大竜小1年の時、ソフトボールを始める。長田中では「吉野バッファロー」で硬式野球を始め、中3のとき4番捕手として全国大会に出場した。 鹿児島実業高では、1年でレギュラーの座をつかみ、6番三塁手として2004年の夏の甲子園出場。1年の秋から捕手を務めた。2006年夏は鹿児島県大会3回戦で敗退したが、高校通算31本塁打を記録した。 2006年、高校生ドラフト4巡目で読売ジャイアンツから指名を受け入団。背番号は96。 高校通算31本塁打の打撃を期待されて入団したものの、1年目の2007年は2軍で打率1割台、長打なしと活躍できなかった。しかし、フューチャーズでは第2捕手として6試合に出場し、打率.412、本塁打1と活躍を見せた。 2009年11月12日、来季から育成選手として契約する事が発表された〔巨人、竹嶋、伊集院と林イー豪と育成契約 〕。内野手に転向することが決まり、11月上旬の秋季練習から主に二塁の練習に取り組んだ〔巨人・伊集院、捕手→内野手で再び支配下登録目指す 〕。 2010年は、主にフューチャーズやシリウスで試合に出場し、長打力のあるバッティングで活躍した。二塁守備の練習をしていると言われていたが〔、三塁と一塁を守っており、二塁手としての出場はない。10月に行われたフェニックスリーグではチーム最多の3本塁打を記録した。同年10月29日、自由契約選手公示がなされたが、11月10日に育成選手として再契約した。その時の背番号は007で、日本プロ野球史上でこの番号を付けたのは、伊集院が初めてだった〔1993年に、二村忠美が古巣の日本ハムに復帰する際に、『ジェームズ・ボンドのような危険な雰囲気の選手になりたい』とこの番号を希望するも、パ・リーグに「背番号を興味本位で扱われてはならない」と却下された過去があった。〕。 10月2日、球団から来季の契約を結ばないことが発表された。2013年よりジャイアンツアカデミー講師を勤めている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伊集院峰弘」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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