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伊集院頼久の乱[いじゅういんよりひさのらん] 伊集院頼久の乱(いじゅういんよりひさのらん)は、応永20年(1413年) - 応永24年(1417年)にかけて薩摩の島津氏で起きた家督争いに端を発する動乱。島津一族の久豊と、島津重臣の伊集院頼久・煕久の間で争いが繰り広げられ、最後は両者が歩み寄る形で和解する。 == 発端 == 島津奥州家の7代当主、元久が病に倒れたため後継者を選ぶことになった。元久の子は出家していたため家督を継ぐことはできなかった。元久には弟の久豊がいたが、当時大隅・日向の国境を守備していた久豊が無断で敵対する伊東氏から妻を迎えていたため、元久との仲は険悪であった。 このような状況の中で、島津家の重臣・伊集院頼久は元久の妹を室にしており、子の煕久(当時は初千代丸)は元久の甥にあたることから、煕久を後継者とするよう病床の元久に勧める。元久が死去すると、頼久は煕久を後継者にするとの遺言があったと公表、元久の葬儀を行った。これを聞きつけた久豊は葬儀中に位牌を奪うと、自らが葬儀を行い8代当主の座につく。しかし久豊の行動に憤った頼久は、反撃の機を窺っていた。
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