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伍廷揚 : ウィキペディア日本語版
伍廷揚[ご ていよう]

伍 廷颺〔「颺」は「揚」の異体字。〕(ご ていよう)は、中華民国の軍人・政治家。新広西派(新桂系)に属し、黄紹竑の側近的存在と目される。展空

== 事跡 ==
広西武備学堂を卒業し、国民革命軍第15軍第1師師長にまで昇進している。
1927年(民国16年)7月、伍廷颺は広西省政府委員に転じ、8月には同省建設庁庁長をつとめた。1929年民国18年)5月、黄紹竑の後任として暫時ながら広西省政府主席に任じられた。7月には中国国民党広西省党部執行委員となったが、まもなく黄とともに広西省を退出した。1931年(民国20年)2月に、黄が一時的に広西善後督弁に返り咲いた際にも、伍は広西善後会弁に任じられている。
1934年(民国23年)12月、黄紹竑が浙江省政府主席に任じられる。伍廷颺は、その翌年12月に同省政府委員兼建設庁長に任じられ、黄を再び補佐した。1936年(民国25年)12月、黄が湖北省政府主席に転出すると、伍は一時的に討逆軍第8路軍第4師師長に任じられ軍指揮官に復帰した。しかしまもなく、湖北省政府委員兼建設庁長として黄の下につく。
翌年12月、黄紹竑が浙江省政府主席に復帰すると、伍廷颺もやはり浙江省政府委員兼建設庁庁長となる。伍は1946年(民国35年)5月までその地位にあった。1948年(民国37年)、行憲国民大会代表に選出されている。
以後、伍廷颺の行方は不明である。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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