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伍 廷芳(ご ていほう)は清末民初の政治家・外交官。字は文爵、号は秩庸。祖籍は広東省広州府新会県。 ==生涯== ===香港時代=== シンガポールで生まれる。3歳の時に父に従って広東省芳村に移住。太平天国の乱が勃発した後の1856年、香港のセントポール書院(聖保羅書院)に入学した。在学中には黄勝と共同で『中外新報』紙を発刊している。卒業後は高等法院や地方法院で通訳の職に就いた。1874年、私費でイギリスに留学して法律を学び、1876年に弁護士の資格を取った。香港に帰還後に開業し、1880年には華人として初めて立法局の非官守議員(官僚ではない非民選議員)に選ばれた。しかし後に投資の失敗で辞任を余儀なくされている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伍廷芳」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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