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伏湛[ふく たん]
伏 湛(ふく たん、? - 37年)は、中国の前漢時代から後漢時代初期にかけての政治家。字は恵公。徐州琅邪郡東武県(山東省諸城市)の人。済南の伏生と呼ばれた伏勝の9世の子孫である。父の伏理は名儒者として知られ、成帝に『詩経』を教え、高密太傅となり、一学派を形成した。子は伏隆、伏咸、伏翕。また、伏湛の子孫には『三国志』や小説『三国志演義』で知られる後漢末の伏完、その娘の伏寿(伏皇后)がいる。 == 事跡 ==
=== 初期の事跡 ===
伏湛は、若くして父を継いで儒者となり、数百人に教えた。成帝の時代に、父親の実績により、博士弟子に任命された。5度の昇進の後、王莽が皇帝となったときには、繍衣執法(新制での繍衣御史)として大奸の督察を命じられ、後に後隊屬正(新制での河南郡都尉)に任命された。 更始帝が即位すると、伏湛はその配下に移り、平原太守に任命された。この時、門下督(伏湛の家事を担当していた者)が、伏湛に挙兵の相談を持ちかけたが、伏湛は衆を惑わす行為として、門下督を直ちに誅殺して梟首とした。これにより郡内は安定したという。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伏湛」の詳細全文を読む
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