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博義王[ひろよしおう]
博義王(ひろよしおう、1897年(明治30年)12月8日 - 1938年(昭和13年)10月19日)は、明治・大正期の伏見宮家の皇族、海軍軍人。最終階級は海軍大佐。伏見宮第25代当主の伏見宮博恭王第1王子。伏見宮の継承はしていないが、伏見宮博義王と通称されることもある。 == 来歴・人物 == 東京府立四中を経て、当時の皇族の軍学校入学の慣例として海軍兵学校入学。海兵第45期で卒業し、海軍将校となる。1927年、美保関事件の発生時に「那珂」に乗艦していた〔「美保関沖で夜間演習中軍艦四隻の大衝突」1927年8月6日付 大阪朝日新聞 (神戸大学附属図書館 新聞記事文庫)〕。1937年、第二次上海事変に際し第3駆逐隊司令として出征、9月25日、黄浦江にて作戦中、乗艦の駆逐艦「島風」が中国軍の射撃を受けて負傷した。療養後、第6駆逐隊司令に就任、揚子江方面で行動後、海軍大学校教官となる。 1938年10月19日、心臓マヒのために薨去。王には喘息の持病があり、治療のため医者が薬を注射したところ、1時間後に急死したという。43歳。父宮よりも早く薨去したため、伏見宮は承継しなかった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「博義王」の詳細全文を読む
英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Prince Fushimi Hiroyoshi 」があります。
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