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二条 恒子(にじょうひさこ、文政9年1月20日(1826年2月26日) - 大正5年(1916年)9月20日)は、江戸時代末期の皇族、公家。明治時代から大正時代の華族。二条斉敬の正室。旧名は恒子女王。 == 経歴 == * 文政9年(1826年)、父・伏見宮邦家親王、母・女房上野寿野の子として生まれる。すぐに父の正室鷹司景子の養女となるが、景子の父関白鷹司政煕に気遣い、彼に預けられる。幼称は岡宮。 * 文政13年(1830年)まで祖父・伏見宮貞敬親王と祖母・一条輝子に養育される。 * 天保2年(1831年)に二条斉敬に嫁ぐ。 * 安政6年(1859年)、従四位下に叙された。 * 文久2年(1862年)、従三位に叙された。 * 文久4年(1864年)、従二位に叙された。 * 慶応3年(1867年)、夫・斉敬が左大臣を辞め、摂政となる。 * 大正5年(1916年)、死去。享年91。号は清閑院。 また、側室との間に生まれた二条正麿、宮橋利敬、四条隆英などを可愛がったという。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「二条恒子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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