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会式試作爆撃機(かいしきしさくばくげきき)は、大日本帝国陸軍が計画した爆撃機。陸軍が計画した初の国産爆撃機である。 == 概要 == 臨時軍用気球研究会の沢田秀中尉は、自ら基礎設計を行った大型爆撃機の試作を発案し、沢田中尉が会式七号小型飛行機の墜落事故で殉職した後の1918年(大正7年)初頭に、陸軍東京砲兵工廠の協力を受けながら機体の制作が開始された。しかし、同年7月に計画は中止され、東京砲兵工廠で機体の一部が組み立てられたのみに終わった。 機体は双胴の大型複葉機で、エンジンは操縦席がある中央胴体の後部に推進式に1基、双胴の前部に牽引式に1基ずつ、計3基を装備する。全体的な形状はカプロニ製の爆撃機に類似していた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「会式試作爆撃機」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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