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会津中街道[あいづなかかいどう] 会津中街道(あいづなかかいどう)は、江戸時代に会津西街道の代替街道として整備された街道。 == 概要 == 1683年(天和3年)の日光大地震により鬼怒川支流の男鹿川が土砂で堰き止められ、天然ダムの「五十里湖」が形成された。それまでの会津西街道が水没で通行不能となったため、会津藩3代藩主松平正容によって1695年(元禄8年)に整備された新たな街道である。氏家宿から矢板宿、板室宿を経て那須山中の三斗小屋宿、標高1,468mの大峠、松川宿などを経て会津に至る。しかし、会津西街道が再整備され次第に使われなくなっていった。 自然湖である五十里湖はその後1723年(享保8年)の大雨で決壊、土石流の発生により死者1200人を出し、宇都宮、真岡近辺まで被害が及んだ。
画像:20071201NasuDake.jpg|那須岳の右下のV字部分が会津中街道の大峠 画像:20081129那須岳Tagged.jpg|北方上空より大峠とその奥・秘境奥那須エリア
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「会津中街道」の詳細全文を読む
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