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会津風土記 : ウィキペディア日本語版
会津風土記[あいづふどき]
会津風土記』(あいづふどき)は、会津藩藩主、保科正之の命により編纂された藩撰地誌寛文6年(1666年)に完成し、近世における地誌編纂のはじまりと評価されている。
== 解題 ==
『会津風土記』は近世における地誌編纂の嚆矢と見なされてきた〔白井35 の注(1)参照。ただし、白井は近世における地誌編纂について異なる見通しを指摘している2004: 第1章 。〕。本書の編纂の契機は、一つには保科正之のもとでの会津藩政の儒学への傾斜とそこから生じる一連の宗教政策(後述)であり、いま一つには寛文印知改において、領内の地名・郡名を明確に確定することが出来ず、不本意な状態で朱印状が下された状態を解消しようとする問題意識であった〔白井49 〕。本書の編纂事業は、前者においては寺社統制・神仏分離および延喜式内社を始めとする古社復興における基礎資料として用いられ、後者では朱印状改定を訴えるための根拠として、当代の高名な儒学者の序文・跋文を得て権威を高めつつ、利用された。
だが、こうした地誌編纂は、本書が成立した寛文期には一般的な事柄とは言い難い。また、単に統治実務に必要な情報を集約するのみであれば必ずしも地誌編纂は行われる必要はなく、郷帳の集成でも事足りる。したがって地誌編纂事業に至るには、中国方志古風土記といった地誌書に関する知識や地誌編纂の思想〔白井第1章 〕を伴わなければならない〔白井50 〕。事実、同時期に編纂されたいくつかの藩撰地誌を見ても、『大明一統志』や『方輿勝覧』といった中国方志を参照していたり、編纂と並行して寺社統制が進められていたりといった点を確認することができる〔白井50-55 〕。
また、寛文印知改に際して各藩が行った調査は、中世以来の郡名・地名等を、現地調査を経て『和名類聚抄』等に記された古代におけるそれに比定するとともに、郡名・地名等を旧に復する作業をしばしば伴う事業となった。かかる事業においては、各藩は自領の歴史と直面することになり〔特に、地誌編纂への取り組みを示した藩がしばしば移封された領主を頂く藩であることを考慮するならば、本書を含め、この時期の地誌編纂事業とは、各地に根付く中世以来の勢力を排しつつ、近世的地方支配を実現するための手段であったと言えよう2004: 50 後述するように他所から移封された領主である保科氏は、領国内に勢力を持つ中世以来の郷頭を排しつつ、領内を把握し近世的地方支配を実現しなければならなかった。〕、各藩および幕府では地理書が要求された。『会津風土記』に林鵞峯山崎闇斎が寄せた序文・跋文では、古風土記の散逸とその後の地誌編纂の不在が問題として把握され、地誌としての風土記を復興するべきことが提言された〔白井 55-58 〕が、かかる問題意識は幕閣によっても意識されたところであった〔藤井譲治、1980、「家綱政権論」、『講座日本近世史 4』、有斐閣 所収〕。鵞峯・闇斎らは、地誌編纂の問題を指摘するにあたって、日本と中国の地誌編纂と建国以来の歴史を比較するという論理をとった。例えば闇斎は、『大明一統志』を中国皇帝による全国の地域・要害を掌握し、国家の繁栄をもたらすものとして理解し、その日本における不在を批判した〔白井57-58 〕。かかる鵞峯・闇斎らの論理にとって、地誌編纂とは統治秩序の構築と異ならないものであって、自らの伝統たる古風土記に従うべきものであった。だが、風土記の復興に際して伝統として依拠すべき古風土記は既に失われて久しく、それゆえ同時期の中国における『大明一統志』を、また『大明一統志』の背景となる『周礼』を参照点とすることを闇斎は論じた〔白井58-59 。『周礼』は理想の政治体制とした礼制に関する書物であって2004: 22 、それ自体が既に政治的な思想性を帯びている。〕。こうした提言には実証的には疑問の余地があるものであったが、後に繰り返し引用・参照され続け、影響を与えた〔白井63 〕。寛文期の地誌編纂は、儒学思想に傾倒した少数の藩によって試みられたにとどまり、地誌編纂の思想が全国に影響力を持ち始めるのは18世紀に入ってからのことである〔白井 60 〕。とはいえ、『会津風土記』は、近世日本における地誌の復興にあたって、中国方志と日本古代の古風土記を統合し、モデルとするという思想〔白井59 〕もしくは文明意識〔羽賀303、305-306 〕の確立を示している。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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