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伴 助兼(とも の すけかね、生没年不詳)は、平安時代後期の武士。後に資兼に改名。通称は伴次郎、設楽大夫。姓は朝臣〔『朝野群載』〕。伴助高の子。三河設楽氏・富永氏の祖。位階は従五位下。八幡太郎義家郎党で一の勇士として知られる。 == 出自 == 三河伴氏の出自は明らかでなく、景行天皇から出た三河大伴部直の後裔とする皇胤説のほか〔太田4039 〕、中央豪族の伴氏(伴宿禰)の後裔とし、伴善男〔「伴氏系図」『群書類従』巻第182所収〕・大伴駿河麻呂〔鈴木真年の著作による。宝賀822 ではこの説に従っている。〕・大伴家持〔鈴木真年『百家系図』巻第59,大伴宿禰〕らに繋げる系図がある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伴助兼」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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