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伴須賀雄[とも の すがお] 伴 須賀雄(とも の すがお、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族。日向権守・伴和武多麻呂〔鈴木真年『百家系図』巻59,大伴宿禰〕または右兵衛督・伴勝雄〔『地下家伝』〕の子。官位は従四位上・因幡権守。 == 経歴 == 承和年間に備後権掾を務め、この間の承和5年(838年)遣唐使に随行して渡唐し、翌年無事帰国している(この時の位階は正六位上)。嘉祥3年(850年)文徳天皇の即位後に従五位下に叙爵し、文徳朝では土佐権守・紀伊介・縫殿頭を歴任する。 清和朝に入り、貞観2年(859年)従五位上に昇叙され、引き続き縫殿頭を務めたのち、大和介・但馬守を歴任した。陽成朝では、主殿頭・因幡権介を務める傍ら、元慶元年(877年)従四位下、元慶6年(882年)従四位上に至っている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「伴須賀雄」の詳細全文を読む
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