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住吉一家浅草高橋組 : ウィキペディア日本語版
浅草高橋組[あさくさたかはしぐみ]

浅草高橋組(あさくさたかはしぐみ)は、東京都台東区浅草に本拠を置く暴力団で、指定暴力団住吉会の2次団体。正式名称は住吉一家浅草高橋組。前身は、博徒暴力団だった大和民労会高橋組
== 歴史 ==
1909年明治42年)暮れ、河合徳三郎の身内だった高橋金次郎は、浅草で土建請負業「高橋組」の表看板を掲げて、一家を結成した。
1919年大正8年)11月、河合徳三郎、梅津勘兵衛倉持直吉青山広吉篠信太郎西村伊三郎中安信三郎が中心となり、政友会床次竹次郎(当時は、原敬内閣で、内相)を世話役に、右翼頭山満を顧問に迎えて、大日本国粋会が、政治外の侠客団として結成された。大日本国粋会は、土建業者を含む博徒の全国的な結集団体だった。
1921年(大正10年)1月〔出典は、山平重樹『義侠ヤクザ伝 藤田卯一郎』幻冬舎<幻冬舎アウトロー文庫>、2003年、ISBN 4-344-40476-9のP.50〕、河合徳三郎は、大日本国粋会を脱会し、民政党の後ろ盾のもとに、大和民労会を結成した。大和民労会の結成式は、浅草伝法院で行われ、約5000人が集まった。大和民労会の中心メンバーは、土建業系博徒の関根賢(後の関根組組長)、高橋金次郎(高橋組組長)、城迫正一(後の小千鳥組組長)だった。それぞれが、浅草吉原向島下谷を地盤としていた。
1922年(大正11年)ごろ、浅草で高橋金次郎は、鼈甲屋一家一見直吉親分(通称は鼈甲屋)と縄張り争いをしていた。出羽屋山本周三は、高橋金次郎を応援していた。

1922年4月14日夜、鼈甲屋事件が勃発した。
同年12月30日、大日本国粋会系田甫一家青沼辰三郎(後の田甫一家五代目)は、浅草区千束町で、年忘れの賭場を開帳した。高橋組の木村は、青沼辰三郎の賭場に乗り込み、青沼を罵倒した。青沼辰三郎たちは、木村を賭場の外に連れ出し、暴行を加えた。
同年12月31日、青沼辰三郎は、豊田吉次郎(青沼の親分である田甫一家四代目・金井米吉の兄弟分)の自宅を訪ねた。木村は、青沼辰三郎が豊田吉次郎の家にいることを知ると、ドスを持って、豊田宅に殴り込んだ。青沼辰三郎は、すでに豊田吉次郎の家を出ていた。木村は、豊田吉次郎の幹部・中島幸太郎をドスで斬った。木村は、青沼辰三郎がいないことを確認すると、豊田吉次郎の家から立ち去った。それを知った青沼辰三郎は、単身で、浅草区新谷町の高橋組・高橋金次郎組長の自宅に、ドスを持って殴り込んだ。青沼辰三郎は、高橋組組員と斬りあった後、高橋金次郎の自宅から逃げた。
1923年(大正12年)1月2日未明、高橋組の若衆約50人が、浅草・新谷町に集結した。高橋組の若衆は、喧嘩仕度を整えてから、日暮里町元金杉の田甫一家四代目・金井米吉の家に殴り込みをかけた。同日、大日本国粋会所属の博徒は、田甫一家が高橋組の殴り込みを受けたことを知り、芝区新幸町の関東総本部で、緊急会議を開いた。会議では、大日本国粋会所属の博徒は、すぐに田甫一家に応援し、高橋組に報復することが決まった。警視庁は、大日本国粋会の動きを察知し、非常招集をかけた。愛宕、築地、北紺屋の警官300人を新橋駅、土橋、虎ノ門周辺に配置した。同年1月3日午前2時すぎ、大日本国粋会は、400人の会員を関東総本部に集めて、浅草に向かって出発した。同日午前3時、大日本国粋会の博徒は、警官隊と遭遇し、解散を命じられた。大日本国粋会は、高橋組への報復を断念した。大和民労会は、大日本国粋会の行動を知り、東京市の会員約1万5千人に檄を飛ばした。大和民労会は、下谷区上根岸の大和民労会本部に会員を集め、大日本国粋会と戦うために進んだが、300人の警官隊に取り囲まれて、解散を命じられた。大和民労会も大日本国粋会との戦いを断念した。
同月末、洲崎武部申策の身内・佐久間政雄と大日本国粋会幹事・小島長次郎(通称:茨城長)が喧嘩となった。佐久間政雄は、小島長次郎を斬った。大日本国粋会系の博徒は、小島長次郎が斬られたことを知り、日本刀や短刀を持って、洲崎の遊郭付近の広場に集まった。人数は約140人に達した。佐久間政雄は、大和民労会に駆け込んで、助けを求めた。大和民労会は、160人を集め、日本刀や短刀を用意し、自動車20台に分乗して、洲崎の遊郭付近の広場に乗りつけた。大和民労会と大日本国粋会は斬り合いとなった。
1925年(大正14年)3月、大和民労会と大日本国粋会は、抗争事件を起こし、両者合わせて160人が検挙された。
三社祭に度々介入しており、この件では逮捕者も出している〔三社祭で入れ墨見せる=混乱誘発、組幹部逮捕-迷惑防止条例違反容疑・警視庁 時事通信2015年7月24日〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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