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住江 岸子(すみのえ きしこ、本名:伊藤千代〔『日本歌劇俳優写真名鑑』藤山宗利著、歌舞雑誌社、1920年、P149〕、1904年(明治37年)1月13日〔『日本歌劇俳優写真名鑑』藤山宗利著、歌舞雑誌社、1920年、P149〕〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P97〕 - 没年不明)とは、元宝塚少女歌劇団月組&花組主演娘役クラスの人物である。大阪府大阪市東区(現・中央区)久宝寺出身〔『日本歌劇俳優写真名鑑』藤山宗利著、歌舞雑誌社、1920年、P149〕〔『歌劇と歌劇俳優』藤波楽斎著、文星社、1919年、P97〕〔『寶塚の歌劇少女』橋詰せみ郎著、新正堂書店、1923年12月5日、P58〕。 この芸名は小倉百人一首の第18番:藤原敏行朝臣の『住江の 岸に寄る浪 夜さへや 夢の通ひ路 人目避くらむ (すみのえの きしによるなみ よるさへや ゆめのかよひぢ ひとめよくらむ)』から命名された。 ==略歴== * 1917年(大正6年)、5期生として宝塚少女歌劇団(現在の宝塚歌劇団)に13歳で入団。同期生に春日花子、雪野富士子らがいる。 * 1926年(大正15年)9月4日、宝塚少女歌劇団を22歳で退団。 * 1927年(昭和2年)8月、宝塚少女歌劇団に23歳で復帰。花組に配属されて再び舞台に出演するようになる。彼女の復帰に際して、「再び宝塚に住江岸子を迎えて」という題で雑誌『歌劇』に、「『十三鐘』を名残にして、一度も宝塚へ顔さえ見せぬ住江さんが、此度、思い掛けもなく、本当に思い掛けもなく、再び宝塚に帰って来る-夢、夢と云うのさえ、この悦びの心にはそぐわぬ淡々しわを感ぜしめられる。〔『歌劇』、1927年(昭和2年)9月、P58〕」と、見開きで記事が掲載された。 * 1930年(昭和5年)3月10日、宝塚少女歌劇団を26歳で退団。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「住江岸子」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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