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佐々木久子[ささき ひさこ]
佐々木 久子(ささき ひさこ、1927年2月10日 - 2008年6月28日)は、日本の編集者、評論家、随筆家である。雑誌『酒』(1955年 - 1997年)の編集長で、かつて「カープを優勝させる会」を旗揚げし奔走した事でも有名。広島県広島市出身。 == 来歴・人物 == 3歳から酒をたしなむ〔佐々木はずっと「1930年生まれ」を自称していたため、死去時には「78歳」とも報じられていた。実際はそれより3歳上だった事が死去後に判明した。 ZAKZAK2008年7月3日付 「良い酒を飲むこと…追悼佐々木久子さん美酒一貫の人生 」〕。広島女子商業学校(現広島翔洋高等学校)を経て広島大学に進学。1945年には広島市への原子爆弾投下により爆心地から1.9km離れた自宅で被爆。自身は母親と共に救出されたが、5年後には父親を原爆症により亡くした。第二次世界大戦後は広島で青年運動・平和運動・新劇などの活動もしていた〔長崎新聞2008年8月6日付論説「佐々木久子さんの“遺言”」 〕。 大学卒業後、単身で上京。1955年4月、雑誌『酒』を創刊。以来1997年までの42年間にわたり、編集長を務めた。また1960年代半ばには新潟県の地酒「越乃寒梅」にいち早く着目し、その後興った“地酒ブーム”の火付け役にもなっている。1985年、厚生省(現厚生労働省)の諮問機関「おいしい水研究会」委員に就任した。 1990年代後半から仕事のペースを落とし、1997年には創刊以来編集長を務めた『酒』を501号をもって休刊したが、21世紀になってからも地元の中国放送(RCC)などで社会評論を続け、2003年には自身最後となる著書を出版した。その後、2005年に脳梗塞のため療養生活に入り、2008年、多臓器不全のため81歳で死去。結婚はせず、生涯独身だった。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木久子」の詳細全文を読む
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