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佐々木庸一 : ウィキペディア日本語版
白い巨塔の登場人物[しろいきょとうのとうじょうじんぶつ]

白い巨塔の登場人物(しろいきょとうのとうじょうじんぶつ)では、山崎豊子小説白い巨塔』に登場する架空の人物を列挙する。
なお、本項では同作を原作とした映像化作品についても併せて記述する。以下、原作とその後に作成されたメディア作品間の混同を避けるために、原作は(原作)、テレビ作品は作成年を、映画は(映画)、ラジオドラマは(ラジオ)と注意書きを個々に示す。
== 浪速大学 ==

=== 浪速大学第一外科関係者 ===
; 財前 五郎(ざいぜん ごろう)
: 演 - 田宮二郎(映画版、ラジオドラマ版、78年版)、佐藤慶(67年版)、村上弘明(90年版)、唐沢寿明(03年版)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科助教授→浪速大学医学部第一外科教授(食道外科専攻)
:
; 東 貞蔵(あずま ていぞう)
: 演 - 東野英治郎(映画版)、山形勲(67年版)、中村伸郎(78年版)、二谷英明(90年版)、石坂浩二(03年版)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科教授(肺外科専攻)→近畿労災病院院長
:
;
: 演 - 杉田康(映画版)、小林勝彦(67年版)、清水章吾(78年版)、頭師孝雄(90年版)、奥田達士(03年版)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科次席講師→浪速大学医学部第一外科助教授(胸部外科専攻)
: 胸部外科を専攻し、東教授の直接の指導を受ける。派閥や徒党を嫌い、佃や安西をはじめ権力者に媚びるような人間達を良く思っていない。中立派のひとりであり、稀に財前に対しも歯向かうことがあるため、
: 教授選においては、「滝村名誉教授喜寿の会」の段取りの件にかこつけた佃の工作に対して、。また、東教授から、
: 財前の教授就任後は助教授に昇格。財前の外遊中は医長代理を務め、病状が悪化した佐々木庸平を診断して術後肺炎ではないことに気づき、その臨終に立ち会う。裁判では一審、二審共に財前側の証人に立ち、あくまで胸部外科の立場からこれを擁護し続けるが、関口弁護士からは証言の一貫性の無さを指摘されて返事に窮する場面もあった。
:財前の発病後は透視を行って進行癌を発見。鵜飼医学部長らと対応を協議、受持医となり手術の際は第一助手として東を介助する。その他、財前と似た胃のかたちをした胃潰瘍患者のフィルムの探し出し、その患者の摘出胃の標本作成など緘口令に基づいて様々な段取りをしたり、里見に病状の経過を報告する。だが嘘をつくのは苦手らしく、摘出胃の標本を財前に見せる際には佃と安西に押し付けようとする(1978年版では結局2人に押しつけた)。そして病状を疑って問い詰める財前を安心させようとして、かえって疑念を深めさせてしまう。財前の病状急変後は徹夜で看病し、肝性昏睡が始まった後は付き添ってその臨終を看取る。
:; 2003年版
:: 最後まで中立的な立場にいたためか、財前の死後、忠臣だった佃・安西が地方に飛ばされたのに対し、反旗を翻した柳原とともに現職に留まり、大学病院に残っている。
;
: 演 - 高原駿雄(映画版)、久野四郎(67年版)、河原崎長一郎(78年版)、斉藤洋介(90年版)、片岡孝太郎(03年版)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科筆頭助手、医局長→浪速大学医学部第一外科講師
: 。極めて功名心が強く、教授選を控えた財前助教授から次期講師の座をほのめかされたことに感動、病棟係の安西などと協力して医局内の強力な意思統一をはかり、先輩の金井に接近して支持を取り付けるなど、財前が驚くほどの大胆な行動も見せる。教授戦が財前と金沢大・菊川教授との決選投票になった際は、安西と共に金沢に乗り込み、菊川に教授選候補辞退を強要、これを拒否されると「当選しても医局員全員は菊川教授には一切協力しない」と捨て台詞をはいた。これが菊川を推薦した東都大学の船尾教授の耳に入り窮地に立つが、財前の当選で事なきを得た。
: 財前の教授就任後は講師に昇格。財前が鵜飼医学部長から学術会議会員選挙の立候補を打診された際は、鵜飼の本意が内科学界で台頭しつつある洛北大学・神納教授の対抗馬として立たせ、その対面を失わせることで内科学会における自身の影響力を確保することにあることを調べ上げ、財前に立候補を思いとどまるよう具申。しかし財前の決意が固いことを知ると、学会仲間のつてを頼って洛北大学の系列大学に水面下の工作を行い、選挙対策本部に詰めて10人の専従員を統率した。また、財前の誤診をめぐる控訴審では、たまたま佐々木庸平とは別の患者の断層撮影を申し込んでいたことを思い出し、放射線科に残っていたその際の台帳を悪用し、「財前教授は肺の転移に気づいていた」と証言している(これは元病棟婦長・亀山君子の証言で覆された)。このように財前にとっては忠実な部下であったが、医局員に対しては横柄で尊大な態度だったため、医局内での評判は悪い。また、前任教授の東からは「要領はいいが、あまり勉強しない方だ」と評価は低かった。
: 財前が癌に倒れた際は、手術で第二助手を務め、病状が悪化した後は泊り込みで必死の看病に当たった。術後1ヶ月後の朝、財前の往診に行って異変に気づき、肝性昏睡が始まったことを金井に伝えた。
:; 1978年版
:: 号泣しながら解剖室へ運ばれる財前の遺体に最後まで付き添ったが、財前死後の処遇については一切触れられていない。
:; 2003年版
:: 財前の死後、安西と共に地方に飛ばされた事が金井の発言で明らかになっている。
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: 演 - 早川雄三(映画版)、巽秀太郎(67年版)、伊東辰夫(78年版)、そのまんま東(90年版)、小林正寛(03年版)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科次席助手、病棟係→浪速大学医学部第一外科医局長
: 2003年版では、安西信也の名称で登場。
: 第一外科筆頭助手を務める医師。医局長の佃と共に財前助教授の教授昇格に奔走し、金沢まで乗り込んで対立候補の金沢大学・菊川教授に立候補辞退を強要した。その功績あって講師に昇格した佃の後任の医局長に就任。
: 医局の管理統括をする立場ではあるが、財前の親衛隊的な動きが多く、学術会議会員選挙においては選挙対策本部に詰めて選挙運動を統率した。また、開票日には上京して学術会議本部に詰めて開票情報の収集と選対本部への速報にあたり、選対に当選確実を告げる。
: 財前への忠誠心は人一倍強いが、なお、、佃と柳原が財前の控訴審裁判の証人になったことを羨んで、柳原出廷前の壮行会の席で「千載一遇のチャンスを得た君たちと違ってこの安西には未来は無い」と愚痴をこぼした。また、その際に酔った勢いで柳原に学術会議会員選挙での裏工作を暴露し、彼の財前への反感を深めさせてしまう。
: 財前の病状急変後は金井、佃と共に徹夜で看病に当たり、財前が肝性昏睡に陥った後は金井の指示で強心剤を投与した。
:; 1978年版
:: 財前が倒れた後に「財前教授に深入りしすぎた、(財前が死んだら)我々は財前派の生き残りということできっと冷や飯を食わされる」と愚痴をこぼして佃に一喝されている。しかし佃同様、財前死後の処遇については一切触れられていない。
:; 2003年版
:: 財前の死後、佃と共に地方に飛ばされた事が金井の発言で明らかになっている。
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; 柳原 弘(やなぎはら ひろし)
: 演 - 竹村洋介(映画版)、田川恒夫(67年版)、高橋長英(78年版)、堤真一(90年版)、伊藤英明(03年版)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科医局員(胸部外科専攻)、佐々木庸平担当医
:
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: 演 - 坂東正之助(78年版)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科医局員、抄読会記録係→舞鶴総合病院医師
: 父親は阿倍野の開業医(1978年版では、姫路の大病院の院長)。第一外科医局入局後は胸部外科を専攻、先輩の柳原と共に東教授の指導を受ける。なお、
: 財前が教授になった後、佐々木庸平の手術の翌日に行われた抄読会記録係を勤めた。その際に財前が佐々木の手術を評して発した「周辺の転移も無く完全に廓清できた、永久治癒組だ」という言葉を記録した。財前の裁判において第二審が始まった頃、安田太一の担当医となるが、教授総回診中に安田が財前に腹痛を訴え、かつ診察にすぐ駆けつけなかったことを財前に厳しく叱責された。ところがその際に「学術会議選挙の手伝いをしていた〔一時は選挙対策本部担当だったが、この時はすでに外されていた。安田太一の診察の際には選対に新たに入った医局員が不慣れだったために呼び出されていた。〕」と安田の前で弁解したため、かえって財前の不興を被り、関西医科歯科大学系列の組織票1500票を得る引き換えとして、無給医局員の中河・瀬戸口と共に舞鶴総合病院に出向させられた。江川にとって、僻地の舞鶴へ送られることは医学の最前線に接触する機会を失うことであり、学位を取ることすら危ぶまれる事態であった。そのため酒をあおり柳原に不満や抄読会のことをほのめかした。
: 舞鶴へ出向後、柳原が裁判で真実を証言したことをラジオで知ると、窮地に立たされた柳原に協力するため、「ショウコアル」と電報を打って急遽来阪。大阪駅柳原と合流し、第一外科医局から抄読会記録を持ち出して関口弁護士に届けた〔原作では、大阪駅から関口が待つ柳原の自宅に直接行く。そして、人気のないときを見計らって医局に行き人に見つかったら資料整理の振りをして持ち出す、という計画を語り、関口の勧めもあり翌日に実行した(持ち出し自体の場面はない)。1978年版では、柳原の証言の数日後に医局員たちが帰った後の深夜の医局に潜入し、抄読会記録を入手。レストランで柳原と落ち合い関口の元へ行く流れとなっている。〕が、その際、舞鶴へ飛ばされた時点で父の跡を継ぐ覚悟ではあるが、原作に言及はないが、おそらくこの際に柳原から自分が舞鶴へ飛ばされた本当の理由を聞かされたと思われる〔控訴審法廷で激昂し、財前をなじった際にこの事について言及している。なお1978年版では、経緯は不明だが、つい最近自分達が飛ばされた真の理由を知って腹が立った、と柳原に語っている。〕。その後の公判で関口は記録を書証として提出し、財前側が否認すると江川に在廷証人として出廷を要請、柳原の口添えもあって江川は出廷に同意した。対質尋問では、財前のすり替え証言に逆上し激昂したため、裁判長から退廷を命じられた。このことがあり、教室を除籍され〔原作では控訴審判決前日に財前が義父・又一と裁判について話した際に、即刻除籍にしたと明らかにする。
:; 1978年版
:: 最終話(第31回)冒頭で、判決を一週間後に控えて財前が花森ケイ子に質問されて柳原と共に除籍にしたと語った。〕、阿倍野にある父親の病院を継ぐことになった。結局、控訴審判決では江川の記録及び証言が採用され、財前は敗訴する。
; 中河(なかがわ)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科医局員→舞鶴総合病院医師
; 瀬戸口(せとぐち)
: 職業 - 浪速大学医学部第一外科医局員→舞鶴総合病院医師

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「白い巨塔の登場人物」の詳細全文を読む



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