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佐々木 政吉(ささき まさきち、安政2年11月11日(1855年12月19日) - 昭和14年(1939年7月11日))は日本の医学者。専門は、内科学、特に結核の診断と治療。 == 人物 == 東京生まれ。蘭方医・佐々木東洋の養嗣子。東京帝国大学卒。ドイツ留学後、1886年、33歳で帝国大学医科教授に就任。日本人として初めて大学東校教授。医学博士は日本人として第2号。1893年、帝国大学医科大学第一内科学講座教授に就任。 再度ドイツへ出張し、ロベルト・コッホのツベルクリン療法の調査研究をした。その研究を継続するため、自宅内に研究所を作り、これが佐々木研究所の母体となる。 41歳で、大学教授を辞める。後任の教授は三浦謹之助。大学を辞めたあとは、杏雲堂醫院院長に専念し、平塚に結核療養のための杏雲堂平塚病院を設立した(2004年閉院)。入院患者として、高山樗牛、国木田独歩、有島武郎夫人などが知られている。 冷水浴・冷水摩擦法を、特に青年の健康増進法として普及させた。 東京都台東区の谷中霊園に眠る。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木政吉」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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