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佐々木 晶三(ささき しょうぞう、1956年1月15日 - )は日本中央競馬会栗東トレーニングセンターに所属する調教師で元騎手。 == 略歴 == 1974年に中村武志厩舎所属として騎手デビュー。キョウエイライジンに騎乗し、初騎乗で初勝利を挙げる。1979年の桜花賞を師匠の管理馬であるホースメンテスコで制してG1初勝利を挙げた。1981年に工藤嘉見厩舎に移り、1982年に騎手を引退し、杉村一馬厩舎の調教助手に転身した。騎手成績は1,183戦137勝であった。 その後、田中耕太郎厩舎、坂口正則厩舎と移り、1994年に調教師免許を取得し、厩舎を開業。初出走は同年11月26日、京都競馬第1競走のヤマトタイトルで3着。初勝利は同年12月25日、阪神競馬第2競走のヤマトタイトルで延べ10頭目であった。 1996年のデイリー杯3歳ステークスをシーキングザパールで制して重賞初勝利を挙げた。同馬は翌年のシンザン記念も勝ったが、ローテーションなどで馬主と対立し、森秀行厩舎へ転厩となった。 2003年のジャパンカップをタップダンスシチーで制し、G1初勝利を挙げると、続くようにコスモサンビームが朝日杯フューチュリティステークスを勝利した。以降は順調に勝利数を伸ばし、栗東の有力厩舎のひとつに数えられるようになった。レース前のインタビュー等で強気なコメントをすることが多く見られる。 佐藤哲三(2014年現役引退)を主戦騎手として佐々木厩舎の馬に騎乗させるケースが多かった。ちなみに佐藤は佐々木に対する尊敬と親しみを込めて「晶ちゃん先生」と呼んでいる。それ以外では田中克典や中村将之が多く起用される傾向がある。以前は武豊の起用は少なかったが、増加傾向にある。 2013年、キズナで東京優駿(日本ダービー)を制し、ダービートレーナーとなる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木晶三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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