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佐々木更三 : ウィキペディア日本語版
佐々木更三[ささき こうぞう]

佐々木 更三(ささき こうぞう、1900年5月25日 - 1985年12月24日)は、日本の政治家日本社会党副委員長、委員長を歴任した。
==来歴・人物==

=== 生い立ち ===
宮城県本吉郡農民の子として生まれる〔1946年の市長公選運動(3) 功刀俊洋、福島大学行政社会学会 『行政社会論集』 1996年7月31日〕。両親が家出をしているときに出来た子どもだったため、11歳になるまで戸籍に登載されず、小学校教育も十分に受けることは出来なかった。若いころは炭焼きなど、故郷で重労働に従事した。1924年(大正13年)、一念発起して、仙台市に出て、製糸工場の臨時人夫をして金をため、東京に出る。その後、苦学しながら日本大学専門部政治科を卒業した。
1928年(昭和3年)、勤務先の自転車会社でストライキを指導して解雇される。以後は労働運動農民運動に奔走し、東京や郷里の宮城県で多くの労働争議小作争議を指導したため、度々警察に検挙された。1937年(昭和12年)、仙台市市議会議員に当選するが、翌年、人民戦線事件に連座し逮捕され、市議会議員の地位を失う。その後は、古本屋の経営や燃料会社への勤務で生活を支えるが、皮肉にも、このときが、最も経済的に安定した時代であったという。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「佐々木更三」の詳細全文を読む



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