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佐々木 正詞(ささき まさし、1980年6月30日 - )は、日本の野球選手(外野手)。より日本生命硬式野球部に所属している。 == 経歴 == 徳島県名東郡佐那河内村で育ち、徳島商に進む〔朝日新聞、1997年3月21日付朝刊、徳島地方面〕。自宅から高校まで毎日1時間以上かけて自転車で通学していたという〔朝日新聞、1998年3月21日付朝刊、徳島地方面〕。1年秋から外野手のレギュラーとなり、秋の県大会・四国大会ではチームトップの打率.510を記録して選抜大会出場に貢献した〔。本大会は初戦で長崎伸一を擁する天理と対戦し、サヨナラ負けを喫している。2年夏も選手権大会に出場し、兵動秀治のいる佐賀商業を2回戦で破るなど準々決勝まで進んだが、川口知哉を擁する平安に敗れた。 2年秋も1番打者として県大会と四国大会の14試合で打率.526、8盗塁の成績で3季連続の甲子園出場を支え〔毎日新聞、1998年3月29日付朝刊、山梨地方面〕、小谷野栄一らとともに全国屈指の巧打者として注目されていた〔毎日新聞、1998年3月25日付朝刊、P.9〕。松本拓也を擁する日本航空との初戦では5打数4安打2盗塁の活躍を見せた〔朝日新聞、1998年4月2日付朝刊、徳島地方面〕が、3回戦で敗れた。3年夏も選手権大会に出場し、初戦で岐阜三田に敗れている。 高校卒業後は亜細亜大学に進み、同期の小山良男とともに1年春のリーグ戦からレギュラーとなった〔朝日新聞、1999年4月6日付朝刊、P.21〕。1年秋のリーグ戦では打率.316でベストナインに選ばれ〔読売新聞、1999年10月30日付朝刊、P.18〕、2年春は主に3番・中堅手として打率.327の成績を残してベストナインとなり〔読売新聞、2000年5月26日付朝刊、P.20〕、チームの優勝に貢献した。4年生のには全日本大学選手権で優勝し、同期の小山、木佐貫洋らとともに日米大学野球の代表に選ばれている。同年秋もリーグ優勝し、3度目のベストナインに選出された〔朝日新聞、2002年11月6日付朝刊、P.14〕。4年間で、東都大学リーグ史上6位となる通算107安打を放っている〔東都大学野球連盟公式記録 〕〔Number web 野ボール横丁 〕。 日本生命に進むと1年目からレギュラーとなり、日本選手権では初戦の対三菱重工長崎戦で先制のランニング3ランホームランを放っている〔毎日新聞、2003年11月20日付朝刊、大阪地方面〕。は俊足好打の野手としてドラフト指名候補と目され〔毎日新聞、2004年3月6日付朝刊、P.21〕、JABA岡山大会では優勝に貢献してベストナインに選ばれた〔毎日新聞、2004年4月23日付朝刊、岡山地方面〕。は5月のアジア選手権代表、9月のIBAFワールドカップ代表にそれぞれ選ばれ、器用さと勝負強さを評価されて日本生命と同じ1番ではなく6番打者を任された〔毎日新聞、2005年3月12日付夕刊、大阪本社版、P.3〕。 2005年とは2年連続で社会人ベストナインに選ばれ、には都市対抗野球大会10年連続出場を果たして表彰されている〔毎日新聞、2012年7月17日付朝刊、P.22〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木正詞」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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