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佐々木清高[ささき きよたか] 佐々木 清高(ささき きよたか、生没年〔『近江国番場宿蓮華寺過去帳』に1333年に(数え年で)39歳で死去した旨の記載が見られる(紺戸淳 「武家社会における加冠と一字付与の政治性について」(『中央史学』二、1979年、p.20))。〕〔安田、1990年、p.240 「佐々木清高」の項(執筆:勝山清次)より。〕:永仁3年(1295年) - 元弘3年/正慶2年5月9日(1333年6月20日))は、鎌倉時代後期・末期の武将〔。隠岐守護。官位は左衛門尉〔、隠岐守〔。古典『太平記』では隠岐判官とも記されている。 == 系譜・縁戚関係 == 宇多源氏流佐々木氏の一族で父は佐々木宗清〔、母は佐々木宗綱の娘〔。子に泰高(やすたか)、重清(しげきよ)がいる。 清高は治承・寿永の乱で源氏方として活躍した佐々木秀義の5男義清の末裔で、義清-泰清-時清-宗清-清高と至る。この家系は代々隠岐守護を相伝(世襲)する家柄であった。船上山の戦いで清高と敵対した塩冶高貞(詳細は後述参照)は、時清の兄弟である塩冶頼泰の孫であり、清高とは又従兄弟(はとこ)の関係にあたる。また、後の南北朝時代において婆沙羅大名として著名な佐々木道誉(高氏)をはじめとする京極氏一族や、室町時代に近江守護として君臨した六角氏一族は義清の兄定綱の末裔で清高と同族(遠戚関係)である。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「佐々木清高」の詳細全文を読む
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